ナレッジマネジメントと先輩後輩
「おめえもまだまだ、あと10年がんばるんだな」
職人的だが、通常の企業サラリーマンからも聞けるような言葉である。
先輩にとって、職に対する誇りや自分の努力と立場を守るための自然な感情であろう。
弟分が自分らよりも恵まれた環境でトクするなんて許せない。
しかし、会社=先輩でもない。
会社としては、たとえば先輩が10年かかって習得した技術は、後輩は5年で習得できるようになるべきなのだ。目に見えない「ノウハウの蓄積」という奴は、具体的にはナレッジの全社共有による組織力であり、ある先輩が辞めた途端に会社がノウハウの重要な部分を失うようでは企業経営は困るだろう。
つまり、先輩後輩的組織にはジレンマがある。
先輩個人のプライド ←→ 会社(ナレッジの共有・効率化・資産化)
先輩連中には、ノウハウを「見える化」し、全社共有するとかいった本能はない。感情的にはそんなことしたくない。それに「その仕事は俺にしかわからないんだゾ!」と言えれば、会社に対してこれほど強いことはない。下手をすれば経営者ですらその先輩に逆らえない。
*「見える化」のかわりに「わからないことは聞け」文化があるが、忙しい先輩に何を聞いたらいいかすらわからないのも常である。
ナレッジ・マネジメントなんていうことが流行った時期もあった。しかし、それは言葉だけではすまない。日本的組織にとっては、感情的に抵抗のあることかもしれないのだ。
外国の多国籍企業では、「タレントプール」などというインド人社員・ドイツ人社員など国籍・場所問わず専門や取組実績などが共有され、プロジェクトで行き詰ったとき全社相手に相談もできるシステムもある。
「総合力」「シナジー」という言葉に日本人は大好物だ。
しかし、外国人社長に任せた海外子会社と、どれほどの有機的結合(これも日本人が好きな言葉)があるか?まず、言葉の壁もある。また日本の他の事業部とは社員旅行で顔を合わせたくらい、とか、東京の一般社員が北海道社員と社内コミュニケーションをはかるような文化もない。
*文書共有でナレッジマネジメントといっても有機的結合からはほど遠い
中央集権やグローバル化
顔を合わせる同僚が「閉じたムラ」の身内となる。だが、これを嘲笑うかのように、多くの日本企業が中枢機能を東京に移し「中央集権的」組織へかわりつつある。ウェブサイトも東京本社がブランド統一のもとに全体管理する。支社ごと、部署ごとに勝手にホームーページを発注していた時代も終わった。
楽天が英語を社内標準語にするといったとき、批判的な声もあった。和製英語が氾濫しているせいで、日本人英語はなかなか通用しない。英語には親しみがあるのだが、英語コミュニケーションには大きな抵抗がある。Excuse meとsorryの違いもわからないし。英語に親しんでいるつもりがあるので、通訳と翻訳があればコミュニケーションできる気になってしまう。だが言語は1:1変換できるものではなく、安い翻訳家に一行なげてよこしても本当はコミュニケーションの役に立たない。1:1変換できないのだから、一行だけでは本来は訳せない。1ヶ月に2回だけ社長と懇談する顧問弁護士が、営業現場で行われている実態・法的リスクをどれだけ把握できているというのだ?同じことだ。
日本の主要企業が次々と海外流出気味に出ていっている。国内中小企業も海外に活路を求めよという声もある。
・産業空洞化の債権国(当ブログ)
しかし、こうしたグローバル化は先輩後輩的世界を大事にする人達にとって文化破壊的現象でもある。
グローバル型組織 ← → 先輩後輩型属人的組織
また「日本人による日本人のための日本人の世界」をグローバル経済の一画につくりあげる試みはうまくいかないだろう。保護貿易もうまくいかない。
むしろ漁業しかないような貧しい小さな島だったら、日本人はその文化慣習を徹底的に守り維持できた。そのほうが幸せだったのかもしれない。しかしそうではない。また、大英帝国のように世界を侵略・隷属化して英語を普及させてしまったようなことは、日本は終戦と共に終わった。アジアだけでも日本をスタンダードと仰ぐ地域にはできなかった。
手段はどうであれ、TCP/IPという統一プロトコルがなければインターネットの利便性もなかった。グローバル化とは多様性をもった統一・全体最適であろうか。ガラパゴス化は一部囲い込みによる部分最適(局所最適)であろうか。
歴史上、日本がこんなに世界の中で相対的に豊かになった時代はなかった。だから日本人には世界化に対するマニュアルがない。歴史上は、貧しく閉じた世界での助け合い・刷り合せ・人情と秩序を守ってきたのだ。これを誇りにし、それで済めばストレスもなく幸せだったのかもしれない。
いまや世界第二の経済という図体と日本人の心が精神分裂するような状況になっている。
だが
「儒教聖地であった中国(清朝)が西欧に負けたからといって儒教がダメなのではない。いや、日本こそ最高の儒教倫理国家だったのだ!」とか、
「ヘーゲル倫理共同体のドイツ帝国が滅んだからといってヘーゲル倫理共同体がダメなのではない。いや、日本こそ最高のヘーゲル倫理共同体だったのだ!」とか。
ヘンテコな「読み替え」を繰り返しても、食えるのは学者くらいだ。
先輩後輩・同期の桜・終身雇用といったシステムをなにがなんでも守ろうとしても、もともと、それすら戦後冷戦にできたもので、戦前のシステムでもない。
日本人の精神に襲い掛かっている現実をもっと客観的に直視すべきで、過去にしがみつき「あの頃の日本人は美しかった」と妄想するのは老人だ。