消費文明と「働き口」 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

コンシューマリズムについて

経済の大原則は「需要と供給」の関係だとされる。需要が上回れば好況となり、供給が上回れば不況となる。需要とは消費であろう。そして、ほしくてもカネがなくては消費できない。


需要にはNEEDSWANTSがあるとされるが、日本のNEEDSのうちライフラインは充分な供給量となった。WANTSがさらなる経済成長を助けた。経済的繁栄は旺盛な消費に支えられる。WANTSなどの消費は、昔、左翼が、「プチブルに堕落した労働者階級の退廃的消費」などと呼んだものだ。


■消費が日本を変えた
『あしたのジョー』では、丹下段平がドヤ街にまぎれこんできた矢吹丈に対してボクサーになるよう口説く
とき「でかい屋敷・でかいクルマ」が得られることを語る。それは億万長者と同じ響きであったのであろうか。それは消費への憧れである。江戸時代なら「蔵が建つ」という表現になろうか。大衆文化のあちこちでモノに対する願望が語られている。

「よりよい生き方」「生活の質の向上」というスローガンの中で、「カネさえあれば、人生楽しめる」いうことを広告は毎日あなたを幼年期から洗脳してくれる。あらゆる身近な文化はすべからく消費可能なモノ・サービスへと変身した。文化的なものすら今日ではWANTSの一種である。WANTSは娯楽や嗜好品を指すが、その範囲は広い。


ところで重厚長大な川上産業はもはや復興期のような急成長はしない。とすれば「成長」という資本主義の神託を担っているのは、「新たな消費」の創造である。

高度経済成長期の奇跡は、生活者にとってWANTSがNEEDSに変質し、生活水準が全国民レベルで格段に向上したことにある。消費の対象物としてはまず「三種の神器」と呼ばれた白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機があった。


テレビが登場したとき、大変に高価なもので、客寄せのために置かれたりした。店舗の前にテレビを置いて集客したので「街頭テレビ」などと呼ばれ、そこで力道山などのプロセスに熱狂したのである。また電気洗濯機は女性の家事負担を大きく軽減し、女性の社会進出の時間的余裕を創り出すことになった。


それらは電力供給が前提となるもので大衆生活の電化であった。電球の黄色くくもった光と違って「白い蛍光灯の光」は、戦後の進歩の証であった。


住宅にも戦後的革命が起こる。70年代には都市人口が地方人口を凌駕するが、こうした都市への人口移動は、古風な長屋では対処できない。都市部では公営団地が次々と開発され、スラムは一掃された。東大の学者らが考案した寝食分離の51C型が住宅公団に採用されてから、2DKだとか3DKだとかが疑う余地のない住宅間取りの標準になった。人々は戦前とは違う住空間に居住するようになる。こうした戦後の大衆生活は「所得倍増計画」などがそうであるように、その空間に至るまで計画経済によって誘導されたものだった

ダイニングキッチン(wikipedia)

分譲マンションの間取りはなぜ昭和のままなのか?(マンション経営成功の鍵)


都市の団地族は、辛気臭い田舎を捨てた新しい世代であり、消費革命の担い手でもあった。そしてテレビはNEEDSになった。
*金田一耕助の映画シリーズでは、都市の若者が故郷に戻り、因習的な背景をもつ田舎の事件に巻き込まれる話が多い。
*星飛雄馬の一家は長屋に住んでいるが、テレビを所有している。


さらに「3C」が叫ばれ、クーラー・自動車・カラーテレビの大量消費がはじまる。一度、カラーテレビを買ったものは、どんなに経済力が落ちても白黒テレビに戻ることはなかった。またクーラーのない会社応接間など今はありえないだろう。


テレビ以外の情報源である雑誌などは、月刊誌から週刊誌主流になった。情報は週単位で入れ替わるようになった。漫画家は短期間での膨大な生産を要求されるようになった。大量につくりだされ、一瞬で消費される。多くはすぐに飽きられる。


ダイエーなどは川上など生産者側優位の市場メカニズムに異を唱え、「消費者が価格を決定する」と言い出した。


ヘーゲルは「欲望の社会化」を唱えた。人並みになるための消費欲は「平等への欲求」である。かつ同時に人と差別化したい消費欲が並存している。皆が持っているものを持っていないと恥ずかしいという感情も消費を動かす。


こうした全国民を巻き込む消費ブームは生活スタイルを一変し、過去の貧しい日本の姿など忘れ去られてしまった。中流の台頭は、これを満足させるモノ・サービスを生み、ゴルフなどサラリーマン文明といえるほどサラリーマンが消費文明の主役になった。


■消費を支えるのはカネ=仕事
NEEDSであれ、消費を支えるのはカネである。
われわれが自らを養うのにカネが必要であり、だとすれば消費を支えるのは実は「働き口」である。ところがライフラインに従事する「働き口」は限られている。とすれば、仕事の側からみれば「新たな消費」創造活動すなわち必需品以外をたくさん生み出さなければ「働き口」は減ることになる。


ケネディ大統領の同級生でもあった経済学者ガルブレイスは消費は自立的なものでなく、誘発に依存していることを指摘した。ムダなものを買うとを広告産業が制度化・正当化し、われわれは必需品以外にカネをはたく。楽しみや自己満足のために。より質の高い生活のために。より自己を美しく磨くために。「生活の質」向上は生産者による消費者煽動工作のスローガンである。


ガルブレイスの「依存」という表現は、アンチ物質文明論者をくすぐる。モノの奴隷だとして。物欲を道徳的悪と考える宗教倫理(儒教・キリスト教・仏教)からもコンシューマリズムは人生の本質ではなかろうし、もっと精神世界やコミュニティ生活や労働者主権へエネルギーを注げという。


・マドンナの『material girl』
80年代のバブル時代である。拝金ガールという意味であろうか。バブルの頃は貢げる男でないと女にとって価値がないような雰囲気があった。


・『ファイト・クラブ』のTyler Durdenが語るアンチ消費社会観
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「俺たちは歴史の狭間の世代だ。居場所も目的もない。テレビは、いつか億万長者や映画スターやロック・スターになれると言ってきた。でもおれたちはそうなれない。それがだんだんわかってきた。そしてすげえむかついている。」
「俺たちは必要ないクソを買っている。」
「お前が持ってるモノがお前を所有してるのさ」

消費以外の高尚な生活?そんな難しいことはわからない。消費によってステイタスを得るとか、ささいな快楽を得るほうが簡単なのだ。ボーナスが出るまで辛抱だ。ボーナスが出たら好きなモノを買おう。それが人生を支えていたりする。
清水省吾が演じる消費者金融アイフルCM「ボーナスまで待ちな」(youtube)

さらに消費が進化すると、消費を煽動するために過剰品質・過剰包装・過剰広告が生み出されていく。選択肢が増え、商品・サービスと情報が氾濫しわれわれは何がほしいのかもわからなくなっていく。


スポンサーのために働くテレビ局が、社会の情報をよりセンセーショナルなワイドショーとして提供するようになる。消費という「資本主義の神」の息がかかっていない情報はまれであろう。


コンシューマリズムの不幸

こういったコンシューマリズムは不況期に弱い。企業もコストを切り詰め、家計も財布のひもを縛ると、WANTSは押さえつけられてしまう。WANTS産業は一過性の流行り廃りみたいになる。外食・観光・娯楽などは押さえつけられてしまう。


「無から有へ」辿りつこうとする消費は骨太いものだ。クーラーやテレビは、「無から有へ」、NEEDSとして全国民レベルで消費を誘った。新興国の強みは、カネがあるならどうしても買いたいという切望が国民にある点である。しかし、一旦、普及しつくしてしまうと、買い替えだけが製造業を支えることになる。飽和しつくした先進国の悲劇は、無理して新製品を買うかどうかは怪しい点だ。


買い替え需要は生産者側からすると不安定な消費である。携帯がそうであるように、不安定な消費にもとづく短期間でのモデルチェンジはメーカを苦しめる。


経済危機の前から先進国において虎の子のコンシューマリズムは衰退していたのではないのか。さらに畳み掛けるように、先進国にありがちな少子化による公的負担の増大赤字財政の中での増税不安・セーフティ・ネットの解除。赤字がもたらす緊縮財政路線は、あらゆる財布のひもを縛ってしまった。人々は少なくともムダな出費は控えるようにはなった。


■消費の死神

コンシューマリズムにとって、不況と緊縮財政は死神となった。WANTSにかかわっていた労働者は不要になってしまうのだ。いまさらWANTSが不要だといわれても調節がつかない。流行産業に従事する人は、流行が終わると失業するのである。

*『蒼ざめたる馬』あり、これに乗る者の名を「死」という(ヨハネ黙示録第6章)


NEEDSが供給できない国家は先進国とはいえないと思うが、「働き口」の少なくない部分がWANTS産業のものであるとき、失業不安は大きなものになる。物欲をもっと肯定し賞賛しないと、「働き口」が少なくなりNEEDSにすらカネを使えない人々すら生み出される。「働き口」があっても、その日暮らしのカネでは消費は回復しない。そして経済成長もない。


しかし食糧不足や住宅不足を解消し飽和してしまった社会において、しぼんでしまった消費をふくらますのは並大抵ではない。それゆえデフレにもなるのだろう。そして安くしても買わない→人員整理→消費減退→安くしても買わない、という「死のスパイラル」が経済全体を蝕んでいく。

日銀は現状がデフレスパイラルであることを認めよ(2009.08.04森永卓郎・日経BP)


大企業は「モノが売れない日本」を捨てて販路を海外新興国に求めるだろう。大企業は生き残るが、日本全体が見捨てられたシャッター商店街になるかもしれない。つまり、国内の大量消費を前提としたカネの手配(「働き口」の確保)の経済システムは抜本的に見直されなければならない。

日系コンビニ 海外に軸足(2009.08.26フジサンケイ・ビジネスアイ)

海外配当非課税で、日本の産業空洞化はより進む♪ (加藤順彦ITmediaエグゼクティブ)

産業空洞化したら今度は何で食べていくのか(2008.11.05日経ビジネス)



しかしアメリカのように低所得者にもクレジットやローンを拡大して消費を膨らませる政策をとると、国も個人も積もった借金で破綻しかねない。というかバブルをこしらえることで凌ぐような経済になったら後がない。サブプライム危機などはまさにそうした構造が生み出したと思う。また未来の富を現在使い果たしてしまうような国や個人の借金は未来の世代を痛めつけるだろう。


コンシューマリズムの終焉の先に待っているのは、安売り競争。そして安売り競争を可能とする規模拡大で寡占化した事業はかならず公益上の規制をかけられる。シュンペンターによるとイノベーションがない限り利益率が限りなくゼロに近い形態・すなわち共産主義になる。革命も暴動も必要とせずに、資源とコストを分配するだけの共産主義経済になってしまう。

家電量販店業界大乱(2007.10.05日経BP)

巨大流通業企業の誕生は可能なのか?(2008.08.02日経ビジネス)

増えるカルテルの損害賠償(2009.01.31日経ビジネス)



先進国の生活は、もはやかつての拡大しつづける消費」を前提とした経済システムを変革しなくては維持できないのではないか。だが、今度の選挙で、こうした経済システムの転換を産業政策として発表している政党はいないような気がするのだ。