憲法の欠陥:議会解散権の歯止め | 日本の構造と世界の最適化

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戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。


「無条件の解散権」が政治をダメにする


■「無条件の解散権」など不健全

わたしは「伝家の宝刀」として定着している「無条件の解散権」に異議を唱える。


法学者連中もマスコミも「無条件の解散」が民意を反映する「民主主義に資するもの」としている。だから「伝家の宝刀」が制度として見直されることは今後もないだろう。しかし、各国の制度(それが大統領制だろうと議院内閣制だろうと)をみれば、「歯止めなき解散権」というのは、かなり行政が強権な国に特有だということはわかる。


日本の議会解散権は特異なものなのだ。


「金科玉条の民主主義」に拘泥するあまり、政治の安定・議会活動の安定が妨げられる弊害は、日本では軽視されている。法案・予算案の審議を本質とする議会があまりにも政局政争がらみになってしまっている。テレビは毎年100本以上の法案が審議される各委員会での活動にまったく興味がなく、右に向いた左に向いたという政権闘争ばかりに焦点をあてる。勝ち負けばかりが焦点となり、法案や予算案の中身自体の検証は日本のマスコミではおそろしく貧弱だ。
*小泉郵政選挙では法案の中身についての報道は著しく弱かった。


せいぜい総論やキーワードだけが国民に提示されるのみとなり、政党も顔やキーワードばかり気にする。結実として、具体的細部立法権をもってないはずの官僚に牛耳られてしまうのだ。
*自民党が東国原知事に出馬要請することが政策内容よりも重視されている。
知事会の要求内容を検証する報道はほとんどない。知事会の要求は完全に妥当なものなのか?それには触れられなかった。


なぜこうなってしまったか?
ひとつには現行憲法に欠陥があったからだ。


現行憲法の欠陥(解散権の限界)


■解散権の歯止めの不在


憲法96条
内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、10日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。


衆院解散を規定した条文だが、「誰がその決定者か」は明示されていない。かつ憲法96条(衆院不信任決議)以外の解散については、憲法上触れられていないのだ。現行憲法は、解散権の歯止めについては考えていないのだ。


●7条解散説

現在は憲法7条を根拠「無条件の解散」が行われる(7条解散説)。


それは、天皇が「解散の詔勅」を出すことへの責任が内閣にあり、そこから内閣が決定者として「推定」されていることを論理的根拠とする。総理リーダーシップ拡大論において、さらに総理が独断で解散権を行使できるものと曲解された。マスコミは「伝家の宝刀」とおもしろがる。党人は「総理の大権」などと語る。


大日本帝国憲法では、帝国議会解散権は「天皇大権」のひとつであり、制約はなかった。だからといって、多数党の代表にすぎない総理に戦前の天皇大権をそのまま与えることはできない。学者達は明治期に薩長元勲が主張した「超然内閣」を認めてしまっているようなものだ。戦前の総理は、解散が「天皇大権」であるし議会をまとめられない証であるから、解散権を振り回すことに躊躇したものだ。
大臣任免権は憲法上も「総理の専権」と明記されているが、解散権については明記はない。


    天皇大権(解散権) → 総理専権へ(解釈上)

     総理・政治家は慎重      総理・政治家のパワーゲームへ


憲法7条3号
第7条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
3.衆議院を解散すること。
(他省略)

最高裁判例(国会解散権1960年苫米地事件)
*この判例は7条による「無条件の解散権」が公認される契機となった


現行憲法の草案を作った占領軍は、軍国主義の除去や貴族院廃止ばかりに目がいって、議会政治における「解散権の限界」は抜けていたのだ。
*1948年吉田内閣時にGHQは不信任以外の解散を否定した。このため野党に頼んで不信任決議を出してもらうことになった。そのため「馴れ合い解散」と呼ばれた。



世界における議会解散権


議会解散は、古来は、恩恵によって議会を開いた君主が、反抗する議会に罰をあたえる行為であった。今日でも、議員を一斉にクビにできる大きな権力である。


・アメリカ(大統領制)→解散権なし(大統領も議会も任期制)
 *大統領には法案拒否権がある
 *議会に大統領不信任権はないが、大統領を弾劾裁判にはかけられる
 *ニクソン大統領は弾劾裁判にかけられそうになって辞任した


・イギリス(議院内閣制)→内閣に解散権あり
              (議会の同意が必要)


・ドイツ(大統領・議院内閣制)→大統領に解散権あり
            (次期首相任命と不信任が条件)
 *連邦議会解散は1972年、1983年、2005年と少ない。


・フランス(大統領・議院内閣制)→大統領に解散権あり
 
*大統領は法案拒否権をもたないし、議会も大統領を弾劾裁判にかける権利がない
 *大統領は法案を国民投票に付託する権限をもつ
 *内政においてもフランス大統領はアメリカ大統領よりも強大な権限をもっているといえる


・日本(議院内閣制)→総理に「無条件の解散権」あり
 *政府が法律・予算を作り提示するので、議会独自の法律は「議員立法」と珍しがられる
 *あいまいな法律を作って、省令・規則など「官僚による立法」で補完し議会を骨抜きにできる
 *いちおう「立法権」は政府ではなく議会にあるが


民意反映のためにも、より強いリーダーを求める雰囲気が強い昨今の日本ではあるが、「無条件の解散権」の結実として、行政権の圧倒的優位をもたらしている。それは実は官僚の優位でもある。


政局ゲームの議会になりさがる


■民主主義に資するのか?解散権の濫用
自公政権が解散を拒んで4年近く。誰にでもわかることだが、民意以上に大切なのは、政権担当者に
都合がいいかどうかである。不利な時期に解散をするバカはいない。与党が勝てるときだけ解散するのだ。また参院が法案否決したときに、法案に賛成した衆院を解散してしまった小泉は、解散権を濫用したといえる。学者達は、「民意に資する」として「無条件の解散権」を擁護するが、現実から乖離した考え方だ。「無条件の解散権」は「民意に資する」のではなく、現実としては「行政府に資する」のである。そして総理が丸投げの場合、「官僚に資する」ことになる。


  戦後の解散権行使の実態

   → 野党を叩くためでもない

   → 総理が党内抵抗勢力をたたくためであった



■議会の死とマスコミの勝利
ましてや「参院不要論」が実現して、一院制になってしまえば、「無条件の解散権」カリスマ総理の一
手に握られ、一切の抑制がない状態になる。この構造は与党政府と行政の圧倒的優位をつくるだけだ。解散をちらつかされ、与野党ともに、政策や審議よりも政局が焦点になる。与党内部も政策者集団ではなくなる。きわめて政争に満ちた議会政治帰結するだろう。議場としての議会は死ぬ。

*民主党の小沢が議会を欠席して地方の選挙準備にいそしんだのは、政局政争が議会を殺しているひとつの例であろう。
*麻生が総理になって以来、「解散はいつか」で持ちきりだった。結局、最後までやるだろう。ムダな政争だった。議員たちは膨大なエネルギーを浪費することになった。
任期の保障がないとなると、議員が議会活動よりも政局政争にあけくれるのは必然である。


    無条件の解散権 → 政局さわぎ(政策論争死す)


議会審議の政局化を防ぐためとして、「会期制限」があるが本末転倒だ。議場をなるべく閉じていたほうがいいなどと。アメリカでは審議はきわめて長く、議員は立法者として忙殺される。徹底的に審議をすることが民主主義である。政局化を防ぐなら、「無条件の解散権」のほうが抑制されなければならない。


■マスコミがやりたい「スター誕生」は政治でも

マスコミはドブ板選挙を嫌い、マスコミを介しての「スター誕生」をよしとするだろう。しかし、現実には特権で守られたカルテル状態のマスコミが政治工作をしてしまわないか。民意でなくマスコミを牛耳るものが、国政を握ることにならないか。現在の「放送法」などの体制は田中角栄が作ったものであり、彼が平民宰相としてスターになったことを考えると、さらなるポピュリズムの称揚には危ういものを感じる。


国政のリーダーにどういう権限を与え、どう権力を抑制するかと、議会は別問題だ。


議会自体は死んではならない。官僚支配を批判するなら、リーダーを強くするのではなく、行政府立法
を弱める形を考えるべきだ。すなわち議会の法案・予算案策定力を高めることで、官僚を排除するのだ


そのためには制度として、議会解散権への歯止め(任期保障)が必要だ。議会を行政府から守れ!