小泉改革を象徴する「骨太の方針2009」で政府自民党が揺れている。社会保障費の削減が焦点らしい。緊縮財政か、積極財政か。
小泉改革は実は自由化でもなく、ネオ・リベラリズムでもなかったのかもしれない。財務省主導による財政改革がそのすべてだったのではないか。みんな小泉という夢をみていたのだ。だから「小さな政府」など実現されず、たくさんの独立行政法人や巨大な政府系民間企業が生まれただけだった。財政がもっとも主要な焦点であった。
そして攻撃の矛先となった国土交通省や厚生労働省ならびに彼らの独自の財布の問題は、国民の怒り、というだけでなく、国の財布を預かる財務省の怒りでもあった。
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歴史をふりかえると、空前絶後の改革の背後に財務官僚がいたりする。
財務官僚が突っ走った明治維新
明治維新のドラマで、財務官僚の暗躍を描くものは見たことがない。それでは視聴率などとれまい。「卓越した自由人」である坂本竜馬などのほうが人気がある。
しかし、「廃藩置県」「徴兵制」「地租改正」という三位一体の改革は、実は財政問題が引き起こした改革ともいえる。そして士族反乱の引き金でもある急激な「家禄廃止」。ちょっとふりかえってみよう。
借金だらけの王政復古
「王政復古」によって成立した新政府は、将軍から献上された5万石しかなかった。さらに、倒幕や東京遷都に新政府は莫大な支出を余儀なくされた。そして幕府・雄藩の対外債務を引き受けて、成立当初から劣悪な財政状態だった。加えて、財政難の中での支出を維持するため、太政官札という紙切れを刷りまくった。
結果として金融は混乱状態になり、苦しくなった藩政府による贋金づくりなど、欧米列強からの厳しい批判を浴びる。全国藩政府の統括など地方行政を財務官庁が掌握すると、重層的な主従関係にあるサムライを士族・卒族に純化したうえで、家禄に課税しようとする(この時点では中央と地方の財布は別であった)。とりわけ戊辰戦争で自腹を切った雄藩は破産状態であり、中央政府との確執は深刻なものになっていった。
さらに直轄軍をもたず藩政府からの出向(費用は藩政府もち)という形で国軍を維持しており、財政難を理由に薩摩藩が兵をひきあげると、内戦前夜のような状況に陥ったのだ。(「征韓論」以前から薩摩は新政府にとって危険な存在だった)
岩倉具視は江藤新平ら中央集権派の建言もいれて、一挙解決の道をさぐる。
西郷隆盛を新政府へ参加させ、薩摩士族らを大量雇用して薩摩を懐柔し、直轄軍と警察を編成する。そして、その軍事力をもって全国課税を実現するため、「廃藩置県」を断行する。さらに「地租改正」(金納)によって天災の影響をうけない歳入を確保する。
第二のクーデターと取引
西郷隆盛らは薩摩士族の大量雇用の話にのった。軍隊・警察・宮廷・宗教を薩摩人が掌握する。一見、西郷首班政府である。しかし、薩摩官僚による神道国教化政策(大教院など)は、長州系文部省や文明開化知識人、さらには仏教界の大反発で頓挫する。一連の改革の背後にいたのは、財政・経済を牛耳っていた長州系(大隈重信も含む)官僚であった。「廃藩置県」後は財政黒字化する。彼らがさらにターゲットにしていたのは、財政の重い負担であった士族家禄である。「徴兵制」導入によって士族家禄廃止の方向が加速する。
長州閥筆頭の木戸孝允の外遊(遣欧使節団)中に、長州系はいじめられる。井上馨・山県有朋らは江藤新平らに攻撃される。そこで外遊組が帰国して「征韓論」なるものが政争の焦点になる。しかし、実態は非財務官僚VS財務官僚(長州系)でもあった。
大久保利通は、実は折衷的立場を貫こうとしていた。
彼は内務省を作って、地方行政権を財務官僚から取り上げる。彼が執心した内務省による軽工業育成は、士族雇用の新産業創設でもあった(製糸工場の女工は士族子女)。これに協調する黒田清隆らは北海道開拓・屯田兵で士族雇用政策をすすめる。財務省にまかせていても雇用創出につながる施策は出てこないからだ。
しかし木戸孝允らの「士族切捨て慎重論」は無視され、若手財務官僚らによって「家禄廃止」が断行されると、士族反乱は本格化していく。そして西南戦争へ。
*しかし「廃藩置県」により士族の拠り所たる藩はなくなっており、士族反乱は団結せずに確個撃破されていく。
明治維新はドラマではなく、官僚・政策をめぐる権力闘争でもあり政治史でもある。財務官僚による歳出削減が、未曾有の改革を引き起こし、さらに急激な切捨てが内戦を勃発させていく。