「小さな政府」論の崩壊 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

「小さな政府」をはっきりと言及したのは、記憶にあるかぎり竹中平蔵だけだった。
「ネオ・リベラリズム(新自由主義)」はレーガン・サッチャー時代以来世界の潮流となり、日本はおそろし
く遅れているので早く追いつく必要があったのだろう。


しかし、「小さな政府」は原理としては税金も安くてすむのである。
日本の構造改革なるものは、増税と「大きな政府」で自由化を成し遂げようとするものだった。自由化を叫ぶ論者はこれを疑問視しなかった。また政府は消費税増税ないかぎり、まだ増税はしていないと思っているようだが、国民の負担増や福祉等のカットは実は増税と同じことだ。「大きな政府」で増税で自由化というのは、新自由主義ですらないだろう。小泉政権時の自由化は幻覚であって、財務省による財政赤字解消がすべてだった。


うまくいかないのは当然だ。

「大きな政府」で自由化すれば、いずれ民意が敵意にかわる。これに対する政治的備えはなかったのだろう。与党は参院を失うことになった。自己責任の要求は、福祉カットと負担増を飲ますためのキャンペーンだったと。


小泉政権時に「新自由主義」を提唱した学者たちも、かつての「ケインズ主義」に転向しはじめている。構造改革推進派の経済学者・中谷巌氏などもその一人だ。


「格差はあって当然」と言っていた人たちがテレビに出なくなった。「貧乏な人は怠け者」と言っていた人も今はそう言わなくなっている。バブル経済時に株買え土地買えと言った人たちが、バブル崩壊後にこっそりいなくなったのと同じだ。卑怯だが、テレビは流行を追いかけるにすぎない。


いまでも「小さな政府論」なのか、官僚たたきは政治のメインである。しかし、人員削減につながる具体的計画はどこにもない。そして今でも増税や福祉医療のカットが必然なのも変わっていない。


アメリカの共和党の中には、「金融や企業を救済するな、自己責任だから死なせろ」という主張もあった。彼らの自由化への信念は非常に強いものだ。日本では、自民党がぐらぐらしている。

ベンチャー起業者らを魅了した「自立した個人」を謳う「新自由主義」も、ある意味はやりのグラビア・アイドルのようなもので、国家戦略でもなかった。小泉時代から何年もたつが、主要産業の核はあいかわらず国策的大企業や財閥的大企業を頂点としたゼネコン型構造だ。あいかわらず国家が株主であるNTTなどがソフトバンクよりも優越的地位にある。新規参入の自由はかなり狭いままだ。そして零細下請けや派遣の置かれている状況は先が見えない暗闇になっている。テレビ報道を掌握してごまかしの情報を流しても、この現実は多くの人が実感として知っている。


今現在は大きな混迷の中にある。サブプライム問題で金融グローバル資本主義は大きく傷ついた。「金融の自由」だけでも大きな見直しと転換が行われる。欧米の金融チャンピオンの多くは今や公的管理下にある。


われわれは、上から下まで現状維持と保身のためにおののき、「次なる道」を発見できておらず、また団結できてもいない。選挙が近づけば、大盤振る舞いと新しい政治アイドルがつくられるであろう。


イギリスにはstatus quo(現状維持)というかっこ悪い名前のロック・グループがある。日本でも、「現状維持」というロック・グループが出て欲しい。それがわれわれの姿だから。