「今日のお昼、何食べたい?」
何気ない会話です。
でも、この質問に答えるまでに、
漢書たちはとても時間がかかることがよくあります。
私は長い間、「決めることが苦手なのかな」と思っていました。
でも、一緒に暮らしているうちに、
決断について、わかったことがあります。
何を食べるのか。
何時に食べるのか。
どのくらい食べるのか。
これは決断すべきことですね。
どんな味なのか。
どんな食感なのか。
これは、予想を立てることです。
この二つがとても大事みたい。
私たちは「何を食べる?」と一つ質問しているつもりでも、
本人の中では、
たくさんの小さな決断が同時に始まって、
その先には予想しないと不安になる
そんな気持ちが見えてきます。
娘から、こんなメッセージが届いたことがあります。
「ねえ、私、何食べたらいい?」
最初は、その意味がわかりませんでした。
食べたいものを選べばいい。
私には、それほど難しいことには思えなかったからです。
でも、外出先で食事をする時も、
希望を聞きながら店を決めていると、
「もう、決めるの疲れた……」
という言葉を何度も聞くのです。
私は食いしん坊です。
「今日は何を食べようかな」
と考えることは楽しみの一つです。
だからこそ、「食べるものを決めるだけで疲れる」
という感覚は、
最初は想像できませんでした。
けれど、朝から見ていると、
「決断をする」のは食事だけではありません。
いつ起きる?何を着る?
いつ出かける?いや、でかけない?
どちらへ行くか。
何を持って行くか。
私たちには小さなことでも、
一つ一つの決断に時間がかかり、
それが積み重なっていくように見えることがよくあります。
以前の私は、
「どうしてそんなことを決めるだけで、
こんなに時間がかかるのだろう」
と思っていました。
今は、「決めることが苦手」というより、
一日に向き合っている決断の数そのものが、
私とは全く違うということがわかりました。
「早く決めてほしい」と思うこと、正直あります。
雨、ふるかなあ?ふらないかなあ???
そんなことは、神様じゃないとわからないんだから、
折りたたみ持っていけばいいじゃないか?!
なんて思ってしまいますが、、、
でも、そのバッグの中には、
イヤフォン、イヤマフ、フィジェット、
大きめのサングラス……。
「もしも」に備えるためのものが、
すでにたくさん入っています。
だから、彼女たちの迷いも必然。
予想外はパニックになりかねないから
あれこれ考えるのも必然
感覚過敏だから、混んでるかな、混んでないかなあと
考えるのも必然。
「どうして決められないの?」
そう見えていた出来事が、
「一つの質問に、
たくさんの決断と予測が重なっていたのかもしれない」
そう思えるようになってから、
娘たちの見え方が、また一つ変わりました。