いい掃除用具はいいピアノと同じだった
片付けや掃除は、始まりも終わりもわかりにくい作業ですね。
なんとなーく始めてしまうこともあります。
ものをどけて、
そのついでに作業の範囲が広がっていく。
気になったところに手を出したら、
どんどん範囲が広くなって——。
でも、そういうところがASDの娘たちにはわかりにくいのです。枠がないし、キリがない。
だから、範囲をしっかり決める、時間を決める、道具を決める!
といった「決め事」がとても大切になります。
「綺麗になるまで」といっても基準が難しい。
ピカピカといっても、人によって違いますから。
こういう場合には時間で区切ります。
洗剤を使うと、その量や洗い流せたか?
など心配になることもあるので、
「2プッシュ」と量も決めて、「このスポンジで、
ここを5分間綺麗にして」という指示だと
かなりわかりやすいようです。
「見える化」しているといいのだと
もっといいのだとおもいます。
「まあ、このぐらいでいいか」の
「このぐらい」
がわからないのは、本当に辛いところです。
私はずっと、
彼女たちはいつか自然にお手伝いをしてくれるようになる
と思い込んでいました。
私が家事をしていたら、見よう見まねで手伝ってくれると。
ところが、その日はなかなかやってきませんでした。
「手伝ってほしいなあ」というオーラをいくら出しても、
彼女たちには伝わらないことが多いのです。
我が家には以心伝心という言葉は
ないかなあ。。
実家に行ったときの朝のこと
実家は居間が2回にあるので新聞をとりにいくのが
ちょいと面倒です。
このところテレビ欄もケーブルを引いていると
テレビで見られますし
新聞がマストの時代ではなくなりましたね。
電車の中でも隣のおじさん、新聞広げすぎー!!
なんてこともなくなりました。
あ、脱線だ。。ごめんなさい。
それで、2階からポストに新聞を取りにいくわけです。
「新聞取ってきて」という単純な一言に、
「どうして私が行くの?」という返事が返ってきた。
私が幼い頃、
祖父に「万里子、新聞」と言われれば、
当然のこととして「ハイ!」と取りに行ったものです。
寒くても、宿題をしていても。
そこに疑問など湧きませんでした。
家族を手伝うのは当たり前のことだと。
だから「どうして?」と言われた時には、
一体何を説明したらいいのかわからずにおりました。
私は言いましたよ、
「あなたたちよりずっと年上の私は、
こういうことをするのがちょっと面倒になったりするの
だから頼んでいるのよ」とね。
すると返ってきた言葉が——
「じゃあ、益々やらなきゃ!どんどん動けなくなっちゃうから」
。。。。。。。。。。。。。
た、確かにね。
というわけで、お手伝いや片付けが「自然に」
とはなかなかいかない娘たち。
では、頼まなくても我が家で私が嬉しく掃除をできる方法は?
と考えました。
そうだ、すごく使いやすくて、
うれしくなる掃除用具を揃えればいいのだ!
ありがたいことにYouTubeで
いろいろなお掃除グッズを
検証してくださっている方がいらっしゃって、
それを参考に、へたって買い替えを考えていたものから
順番に変えていきました。
いい道具はいいものです。
いいピアノに出会った時と同じ!
こう綺麗にしたい、というニーズに、
道具がちゃんと応えてくれました。
それ以来、私は掃除おばさんになり、
あっちに行ってはこのグッズ、こっちに行ってはこのグッズと——決して高いものではありません——
掃除をするのが楽しくなりました。
もちろん娘たちには、
少しずつ彼女たちの「HOW?」
を解消していく努力はしています。
でも少なくとも、「私だけ、、、掃除、、してる。。。グスっ」ということはこれでなくなりました。
めでたしめでたし。