Hとエルファバ

〜Wickedが教えてくれたこと〜

娘たちが幼いころから、

わが家にはいつもミュージカルやディズニー映画がありました。

 

私がこれらの作品を音楽家としても

大好きだったことが大きな原因です。

 

と同時に、

プロが時間と手間をかけて作った本物の素晴らしさに

子供の時から触れてほしかったという気持ちもありました。

 

それがいつしか、彼女たちの人生に深く根を張っていきました。

ASDの特性を持つHとNにとって、

学校生活は決して楽なものではありませんでした。

でも、音楽だけは、いつもそこにありました。

 

エルファバと出会う日

そんな二人が、あるミュージカルと出会います。

Wicked。 全身緑の体に生まれたエルファバは、

ただそれだけで「変」と見られ、

仲間外れにされ、ときに魔法のパワーが暴走すると、

今度は「恐ろしい存在」として遠ざけられます。

 

誤解され続けながらも、信念を曲げないエルファバ。

特にHはそこに、自分を見ました。

 

予定外のことがあるとパニックになって大声をあげてしまう。

 すごくうれしいとピョンピョンとんでしまう。

どうも、私は 人と違うらしい、

と自分でも小学校高学年から思っていたようです。

 

パニックは

怒ると特別な力が出てみんなに恐れられる

エルファバと重なりました。

 

 「空気が読めない」と言われ、なかなか輪に入れなかった日々。 「わがまま」と誤解され、傷ついた時間たち。

それも、これもエルファバと重なっていたんですね。

 

 

幸運なことに、Hはこのミュージカルの舞台を

十数年ほど前にニューヨークで観ています。

 

カーテンコールが終わっても、

彼女は立ち上がれなかったと聞いています。

涙が止まらず、周りの人たちに心配されたと話していました。

 

それほどまでに、この物語は彼女の深いところに

刺さっていたようです。

 

講演会でうたう「The Wizard and I」

 

今、Hと私は「親子で見つめる自閉スペクトラム症」

という講演を、当事者と母という立場で行っています。

 

節目節目で、Hに勇気をくれた歌を彼女自身が歌います。

 

Wickedからは

エルファバがうたうThe Wizard and Iを

プログラムに入れています。

 

この曲を紹介するとき、Hはいつも涙をこらえている気がします。

ステージに立つ彼女の横顔を見ながら、

私はあの頃の日々を思い出します。

 

 

「わかる!」という感覚がなかった

 

Hはこんなことを言います。 

「定型発達の人しか出てこないドラマや映画では

登場人物に共感したことがなかった」

 

冗談がわからないことが多い。

クローズアップされた顔を見ても、その意味が読み取れない。「これ、どういう意味?」

と彼女が私に聞くこともあります。

無言が語る場面は彼女には分かりにくい。

 

 

脳の特性上、「みんなが面白い」と思うところが面白くない。「みんながわかる」ところでピンとこない。

 

最近は発達障害を持つキャラクターが

ドラマに登場することも増えました。

 

でも——たいてい「天才」です。

特殊な能力を仕事に活かし、活躍します。

それは、ほんの一部の話です。

 

自閉症=天才、ではありません。

つまずいて、転んで、誤解されて、傷だらけになりながら、

それでもコツコツと生きていく。

そういう人間の方が、ずっとずっと多いのです。

 

魔法がなくても

コントロールできない魔法は荒削りです。

Hのパニックも制御が効かない。

じゃあ、何ができるんでしょう。

 

好きなことを見つけて、

好きなだけとことん楽しんでもらうこと。これはできますね。

そして、それを邪魔しないこと。

それが、親にできる一番大切なことだと、私は思っています。

 

Wickedが映画化されたのは、

Hが初めてこの物語と出会ってから20年近くも

あとということになります。

 

今回は二部作として公開された映画版。

やはり、涙なしには観られなかったようです。

 

私たちが見た映画館の席の下は、ポップコーンが散らかり、

手には噛んだ後のティッシュ。

 

このゴミの山が、私たちの歴史を物語っているようでした。


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AIも大事なツールですが、人間とのやりとりは私にとって

とても大切です。

 

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