ディズニーランドの魔法と発達障害の娘
こんにちは
人には感情がある。当たり前のことですが、「いやだ」とか「悲しい」とか、そんな経験をするために、それで勉強するために「感情がある」という方もいらっしゃる。
そういう意味では、その感情を目一杯使って生きているのが娘たちです。
それは彼女たちの脳に特徴があるから、、でありますが、
マイナスの感情が動く時には大変です。突発的なこと、じわじわくること(我慢していて爆発する)、予定が立たず落ち着かない、予定が違って脳が追いついていかない、、など。
双子で同じ因子を持っていても二人のそれは違っていてパニックの現れ方も喜び方も違います。
だから、全員が全員、こんな感情の表現をするわけではありませんが、、、
昨日Hは一人でディズニーランドへ。とても久しぶりでした。
彼女のディズニーランドは、ちょっと定型発達の方の「楽しみ」とは違う気がします。
すごくすごくすごく楽しみ。
いや、私も楽しみ、、、という方もいらっしゃると思うんですけどね。。。
彼女たちにとって、そこには実際の社会にはない、「安心」があるのです。
絶対に大丈夫、、という安心。
何が起きても、自分がどこかでしゃがみ込んでしまっても大丈夫という安心。
例え地震が起きたとしても、きっとどうにかしてくださるという安心も含めての安心。
他人は、自分では予想がつかない態度を示すことがあります。
そのギャップに驚くこともありますが、それがHはとても強い。
だからこそ、自分でがっかりしないように「無防備ではいられない」のですね。
そしてマスキングーつまり、カモフラージュが始まって、へとへとになる。
そのままの自分では受け入れていただけないケースがある、
笑われてしまうこともある。
人間、笑われるのは嫌なものですが、
特に彼女たちは「笑い」に対しての幅が狭いので、よく起こります。
が、それがこのマジカルな世界では起きない。
その安心感がとても大きいのです。
だから、ゲートを潜った途端に、まず、その「国」に入国できたことで本当に嬉しくなるのだと思います。
いてもたってもいられません。ぴょんぴょんと飛び上がり、
手をヒラヒラさせて(セサミストリートのジュリアちゃんがよくやっています)
先に走っては、また戻ってくる、、つまり精神が嬉しくていてもたってもいられないのです。
大人になると、この居ても立っても居られない、、というのは心配事の時に起こりますが、
嬉しい時には、あまり起きない気がします。
サッカーなどで応援していたチームが優勝したりしたら、
その場で隣の同じ思いの人と肩を抱き合うなんてことはあると思いますが、
一人で何かをしていて、何かが起きて嬉しい時に、
そこで単独で体を使って喜ぶことはないと思います。
だんだん、そういうことはするものじゃない、、
と社会から言われている気がするんでしょうかね。。。
なので、昨日は車から降りて、(私は仕事に向かいましたが)
一人であの国に旅立つ時には後ろから見ていても嬉しそうでした。
ディズニーは、今や、この世になかった時代があったなんて思えないほどの
広がりや喜びを見せてくれています。
ゼロから、何もないところからここまでにきたこの変遷や展開は、
アップル社と同様、「こうしたい!」という思いが強かったからだと思いますが、
自閉症の子供達にとって、こんなに天国に近いところはないと思っています。
ブロークン・ウインドウ現象というものがあります。
綺麗なところにはゴミは落としたくない、、でもちょっと汚くなると、まあ、いいか、、って思ってしまう気持ちになることですね。
窓ガラスが破られている車があったら、、その車は、「汚いもの」「完全なもの」ではないと認識して「綺麗にしよう」というより「汚くてもいいや」と思ってしまうことです。
私の家などもそうです。キレーにしている時には、キレーを保とうとしますが、ちょいと食器がシンクに重なると、今のんだグラスも、置いとけ、、あとでまとめて、、って思っちゃう。
ディズニーランドでは、ルールも、清潔さも、みんながそれに準じてしまう魔法がかかっている感じがします。
この魔法は、人間がかけたもの。神様がかけたものではない。
日本のどこに行っても、
世界のどこに行っても
この魔法がいつか、かかったらいいなと願っています。
「安心」がとても得にくい、彼女たちの母として切望しています。