発達障害の双子と地震

 

こんにちは

今日は実家で母の見守り介護の日です。照れ 

 

驚き 驚き 驚き

 

地震が、またありましたね。あちらでもこちらでも揺れる地球です。

阪神淡路大震災、東日本大震災、能登半島地震、そして台湾も。シリアも。

 

地球 地球 地球

 

地球は揺れるんだってことなのですが、その度に思うのは、障害のある人のことです。

東日本大震災の時には、私だけが家におりました。小さなマンションで6世帯のみが住んでいたのですが、とても丈夫?だったのか、棚の上の帽子が、スローモーションでふわりふわりと落ちてきた程度。気づき 気づき 気づき

 

その日は、インタビューが二つ入っていて、地元湘南のレストランで行うはずになっており、私はノコノコ歩いて到着。インタビュアーも早めに着いていたために我らはそのまま話し続けておりました。鉛筆 鉛筆 鉛筆

 

が、、、次のインタビュアーが来ないので、周りを見渡すと、、、電車は動かない、人がわさわさしているということで初めてわかった次第です。新幹線後ろ新幹線真ん中新幹線前

 

そして娘たちが大船にいることで狼狽えました。ガーンガーン

 

ただでさえ、不意の変更、未知のことに対して不安なのに、、

そこから家に戻るまで、連絡を取ろうとしたり、できなかったり、本当にハラハラしました。プンプンプンプン

 

一方、インタビューの一つを終えた私は帰宅し、テレビでニュースを見ながら、ひたすら連絡を待っていました。

 

Nは一見、大丈夫に振る舞いますが、マスキングをしてしまうだけで、内心は相当ドキドキしていたと思います。パニックになっていたに違いないHの世話をすることで神経をすり減らしていたと思えます。ショボーンショボーン

 

私、、、はっきり覚えていないのです、、、本当に二人が帰ってくるかどうか、パニックをどう二人で処理しているのか、ひたすら心配だったあの半日は生きた心地がしませんでした。

 

ふんわり風船ハートふんわり風船ハートふんわり風船ハート

 

結局NはHのために、エネルギーになりそうなものをコンビニで買ったり、大丈夫そうなところに避難したり、大変な思いをして少し暗くなった頃、臨時に出たバスに長い列を作って並んで並んで並んで帰宅。えーん えーん えーん

 

この時に思ったことは今も私の胸にずっとあります

車椅子の方が一人で留守番をしていたら?周りが瓦礫になったら動けなくなる、我が子二人は、きっとまず、音で動けなくなる、周りの景色が変わることでパニックを起こす、などなどです。

 

結局この後、二人は半年ほど、電車に乗れず、二人で出かけることがしばらく困難になります。プンプンプンプン

 

地震があった場所で、発達障害の人たちをはじめとして、一般生活に困難がある人たちはどうやって過ごしてきたんだろう。。。

ニュースで地震のレポートを見るたびにそう思うのです。

 

以前、地震があった中東からのレポートを読む機会がありました。障害のある人々の避難の様子が、書かれていましたが、本当に大変なことです。そして私たち家族はそれに備えて何をすべきか、考えさせられました。

 

ここに能登半島地震での自閉症の方々の様子が写っています。

ダウンダウンダウンダウン

 

 

アップアップアップアップ

人ごとではありません。だからこそ、日頃の相互理解が必要だと感じています。動画にも出てきますが、「親の躾が悪い」「もう少しどうにか静かにしてもらえないか?」という言葉。。。涙が出ます。えーんえーん

 

それは窮地に陥った時、無理なのです。できないのです。

 

次から次へ環境が変わる、避難所の移動も、落ち着かない。陣地がないことがとても苦しい。

みんなだって大変なんだ!!郷にいれば郷に従え!そう言われるような気もします。そんな時は、薬とか処方されてしまうのかもしれませんね絶望

 

それでもHがウィーンから帰国した頃よりもずっとずっと理解してくださる方が増えた気がするのです。それはとても親として嬉しいことです。来月は2カ所で親子の講演があります。

 

実際に聞いてみたいという方はどうぞお越しください。