発達障害の娘が車椅子に乗ると、、、
こんばんは
ちょっと薄寒い春の日でした。
さて、先日ぎっくり腰になってしまったH、車椅子ならば(楽しみにしていた)おでかけもできるかも、、と目的地について、インフォメーションのお姉さまに聞くと、全て出払っているとのこと、そうかああ。
が、そのお姉さん、、電動ならあります!では初トライというわけで電動車椅子をお借りしました。
ありがたいことに、とても操作は簡単かつスムーズで、そのおかげで楽しく時を過ごすことができました。
ある程度歩き回って?(走り回って)気づいたこと、彼女が疲れた、、そろそろ休みたいと言わないことです。
当たり前、座っているんだもの、、、と思われるかもしれませんが、歩いている「疲労」とは違うもので。。。
いつもならば、話し声や、人の中を歩く煩雑さ(彼女たちにとってはマルチタスクらしいのです)で、ちょっと歩くと、どこか静かな場所で休みたくなるのです。が。今回は、とても元気で、スタミナが最後まで休憩なしでもちました。それは。。。
見えない障害にも、車椅子はとても役に立つものだと思い知りました。
1)自分の陣地がある。
車椅子は座っているとそこが自分の陣地のようで、安心するようです。
2)目線が違う。
立っていると当たり前ですが、人々と同じ目線ではなくなるため(低くなる)目が合うことがないので落ち着く(人の目はとても情報量が多いので、見ていると大変なのだそうです。
3)人々がぶつかってこない。
車椅子という存在は、「障害がある」という象徴にもなっていると思えます。皆さんが車椅子からは一定の距離を保ってくださる。なので安心。
4)明るさ、音の大きさも軽減される。
耳も目も敏感なので、立っている時よりも照明が遠く、スピーカーからも遠いらしい。そんな数十センチで変わるのかしら?とも思いますが、全然違うのだそうです。
つまり精神的にとても楽なんだそうです。
これは、Hにはもうしわけないのですが、ぎっくり腰にならなければわからなかったことでした。
昔から彼女は車椅子に乗り慣れています。自分でも気づかない間にストレスが溜まると、体の方が先に反応して歩けなくなるということを繰り返しています。
小学生の頃、私が、ちょっと大きな舞台を任された時のこと、リハーサルや練習がかなり立て込んでいましたら、いきなり歩けなくなりました。難病かもしれないと市民病院に行き、精密検査をしますが、わからず。ドクターたちが、Hを囲んで、あれこれ病気の詮索に入りますが、わかりません。
そして、「あまりに急ですが、この筋肉の硬直が心臓に及ぶことも考えられますので、直ちに検査入院をしてください!」そうドクターが言った途端、Hは車椅子から跳ね起きて、脱兎の如く病院の出口の方に走り出したのです。私も、ドクターたちも、看護婦さんも、呆然。懐かしいエピソードです。
全く違う障害をお持ちの方のために作られたものが、ASDの彼女にもとても助けになったという発見でした。