発達障害の双子の生き方
おはようございます。
4月も半ばを過ぎて、連休が視野に入ってきました。どうお過ごしになるのでしょう。新しい季節を新しい場所でお迎えの方、お身体、大丈夫ですか?
私がシングルマザーになってから25年ほど経ちます。その間様々なことが起きましたが発達障害の双子と暮らし、彼女たちの立場を「障害がある」ということで見たり、「これは単なる特性」と思ってみたり、「理解されにくい世の中」という視点で見たりしながらえっちらおっちらやってきました。
今日は、彼女たちが見ている夢と現実について。
夢をみる、夢を現実にする
、夢に生きる
、など「夢」に関しては色々な言い方がありますが、彼女たちも自分が思い描いた将来を現実のものにしようと闘っているところです。
夢を一歩一歩現実に近づけるためには、ビジョン、努力、継続、人脈、意志の強さ、などなど「これが大事!!!」って書いてあります。
これさえあれば大丈夫って。偉い方々の体験談や、出世した武勇伝も。
もちろん、本に書いてあることがすぐさま現実になるわけではありません。私もずっと音楽業をやってきたので、この手の本にはお世話になりました。若い頃から「これで生きていくことを全うするには、どう思ったらいいのだろう」と悩んだものです。
今も、道半ば、、そう実感しています。
さて、このASD(自閉スペクトラム症)の二人は、本に書かれている「大事なこと」を言われなくても性質上やってしまっているものがあります。
努力は人一倍、斜に構えるということがないので、やらなければならないことはやります
が、完璧にやろうとしてしまう。だって、やりなさいと言われたから、と体を壊してでもやり遂げようとします。
人脈は良い方になぜか恵まれる、忖度ということができないからかもしれません。でもその方がどのぐらい自分を思ってくれているのかを推しはかることが難しい
人の態度や、顔や、言葉から推測することが難しいからです。なので、すごく親くてもメールを出すのが怖い。このメールで今までの関係がいっぺんに壊れたらどうしよう(そんな内容では全然なくても)、、これは人の気持ちが想像できないからです。
そしてコミニュケーション力はどんな時にも必要、タイミングを測り、一方通行にならないように、話題の選択や、複数人とでしたら、その関係性、気をつけることをいちいちあげたらキリがないほどのことを、我らは、少しの配慮でやっています
彼女たちは、全神経を集中しないと難しい。だから、人の10倍疲れるはず、、とカウンセラーにも言われました
そしてその『難しさ』を露わにしたら、仕事がしにくい人だと思われるかもしれないという恐怖、それと闘ってきました。
それでも「あるがまま」「私たちはこういう障害があって、こういうことがおきますが、理解していただいたら嬉しいです」を発信しています
最小単位である母娘という家族で彼女たちが見てきたのは、サラリーマンとは真逆の私です
確実性がないけど、色々な会場でお客様と一体になってきたことを幼い頃から見てきました。でもそれをしようとするとどうしても仮面を被らないとできない。試行錯誤をしながらでも、行き着いたのが、演劇であり、ミュージカルでした。
英語圏での作品は、英語でこそ生かされるメロディがあり、アレンジがあります
「花は咲く」を英語にしても、きっとオリジナルのニュアンスは変わります。
英語で言えば、簡単なのに、日本語にすると長くなる言葉もありますが、その逆もいっぱいありますね。
「桜が散る」、、という華やかさと寂しさと美しさと儚さが同居した言葉は英語には直せないかもしれません
だからこそ、彼女たちは、その夢のために英語を学び、ドイツ語を学び、オランダ語、フランス語、それぞれの言葉が生み出した文化や音楽を知ることになります
夢のために必要なスキル、生きていくためのツールは、少々欠けているかもしれませんが、、、
舞台の上なら「意外な展開」がないこと、会話が決まっていること、深掘りする時間があることが安心にもつながります。
こう言ったらどうなるんだろう?という心配なく、人と会話ができるのが舞台でもあります。
失礼ないなことを言っていないかな?という心配なく、セリフを言えるところが舞台です。
もちろん、お稽古には、「突発的変更」があるものなので、その対処は課題ですね
ドクター、カウンセラー、アドバイザーの皆様、これからもよろしくお願いいたします!!!!!
上は小学生の頃の舞台です。
私のもう一つのブログ、piano-to-anata では、今、私が、ETやハリーポッターの映画音楽を書いたジョン・ウイリアムスと会うストーリーが載っています。ご興味がありましたら、是非。