発達障害の娘たちが
海外で生活してよかったこと
こんばんは。
今日はスマホからの投稿です。
大きな舞台を勤めた仲間たちのサポートで川崎におりました。素晴らしい舞台を務めた仲間たちに拍手です。
ウィーンに住んでいたH、&ロンドンにいるNは、彼らを街や人がどのように受け入れているのか?について、よく話しています。
前にお話しした、ひまわり🌻のストラップが見えない障害であることをしめす首からかける物は、かなり浸透し、イギリスから始まった🌻このひまわりのラインヤードはウィーンでも相互理解に繋がっていたようです。付ける方も、それを認識する方も、ある意味普通に交流をしているようでした。
自閉症なんだ、、と言っても、そうなんだ。
という会話であり、え?大変!とか、え?見えない!!とかではなく、目の前にいる人の一つの特性として理解をしてくれていたようです。
パニックで倒れても、目の前の店のひとが、大騒ぎすることなく、助けてくださる、そんな事がよくあったようでした。
国民の理解度、自閉症の先進国イギリスでは、演劇の授業の前に、刺激は苦痛を伴うことをあらかじめ伝え、それを共有して今いただきました。
大きな音が苦手とか、大勢が一斉に意見など言い始めるとどうしたらいいかわからなくなるとか
それを先生方も、学生側も、ちゃんと把握して、Nがいる時は、こうしよう、非常ベルの検査の時にはこの先生がサポートに入ろうなどと具体的に動いてくださった。
日本では、わがままと、見えない障害によるニーズの訴えが、同じに見えてしまう場合も多いですね。
ではどうしたらいいのでしょう。
それは当事者や、その親たちが生きていくニーズや、万が一パニックが起きた時の対処法とかを発信していくことですね。そして、たまごの殻と同じなので、周りも知ろうとしてくださる事が大事ですね。中から、外から共に殻を破くことでしょう。
きっと昔々はイギリスにも、オーストリアにも、そんな殻が価い時期もあったはず。
一歩一歩ですね。人種も入り乱れ、宗教も様々な西洋諸国は、違いを受け入れるDNAを持っているのかもしれませんね。