発達障害の双子を私より早くわかっていた人たち
昨日はいい卒業式日和でした。
私が月に一回行っている幼稚園でも今日が卒業式。双子の娘たちもここを卒園しています。
ここに毎月行くと色々感じることがあります。大勢のお子さんたちに混じって、発達障害があるだろうと思えるお子さんが見受けられます。前は6人に一人、今は8人に一人いると言われている発達障害の子どもたち、でも現場は10人に一人はいらっしゃるのではないか?と実感しています。
NやHもみんなと一緒に動けませんでした。走ってみよーー!と言っても走らない、これはぶつかるのが人3倍嫌だったからかもしれません。
この幼稚園に通うのに、家から約40分歩いていました。途中で出会う蟻ん子に声をかけたり、花々の香りを嗅ぎつつ、ゆったり話しながら、歌いながら、歩いたものでした。
よくこちらにも書いていますが、私が、まだ娘たちを「面白い子」としか認識していなかった頃です。
二人の手を引いて、ゆったりのったり歩いていた時でした。
いつも通るお宅の前を、掃き掃除をしていた方がいらっしゃった。その方は私たちをみて、言いました。
「どこの小学校に行くの?」
我が家のすぐそばにある公立の小学校に行くつもりにしていました。歩いて2分のところにありましたから。
彼女にそれをいうと、「やめた方がいい」と。家の前でお目にかかったことがあるかもしれませんが、ほぼ、初対面。
でも、きっと彼女は、娘たちをみていたんでしょうね。
「お母さん、この子達に、あそこの小学校は合わないと思うわ。どこか合うところを探すといいわ」
私にとっては青天の霹靂でしたし、自分が遠い小学校に通っていて近所の友たちができなかったことから、近所が一番と思っていました。
が、それからしばらく経って、幼稚園の先生から同じことを言われました。
「先生の目が行き届く学校がいいわ」、、、と。
ということは???幼稚園でも(私が知らないだけで)色々あったってことかしら
幸せなことに、そんな問題にも気づかずにいた、呑気な私でした。だからこそ、近くの大きな学校に普通に入れようとしていたんですね。
そして、幼稚園の先生の勧めもあって、行った学校は、全校生徒120人ぐらいの小さな学校。
全校生徒の作品がどこかに必ず飾ってあり、校長先生は校門に立ち、各家庭の状況を把握した上で、声をかけていて、、そんな学校でした。
どこからも流されていない、子供たちをちゃんと愛してくれる学校だったことは今でも感謝しきれません。
偏差値より、大事なことをいっぱい教えてくださる先生方が大勢いらっしゃった学校でした。
入学前、私が見学に行った時にある算数の授業で、1万、10万、という万単位の数を学んでいました。
縦10個、横10個、で100個のいちごが書いてあるシートを一人ずつ子供達に持たせて、それを10枚並べてこれで1000だね、、と。
100の苺のシート10枚で1000
1000の苺のシート10枚で10000
これを繰り返して「数」というちょっと抽象的なものを具体的に可視化していました。ホールにこのシートを並べて、みんなを舞台に上げて、ほら、これが10000だよ、10000っていっぱいだねえ。そんな授業をしていらっしゃった。これで私は、この小さな松林の中にある学校に行かせることを決めました。
教育ってなんだろう、、そう思うことがあります。
本だけの授業で習った10000という数は記憶に残らなかったかもしれませんが、このホールの床いっぱいに並べたいちごの絵は、きっと子どもたちの目に焼き付いているに違いありません。
天気が良ければ、
海に行ってそこでできる授業をしていたり、
マラソン大会では、先生たちが苦しそうな子の伴走をしたり、暖かく見守って下さった。教えることが教育ではなく、その子の成長に大事なものを拾ってくださり育ててくださる、そんな気がした6年間でした。
ある学校行事の日のこと。。
私の夫が蒸発して、学校の行事に来ると約束していたのに、来なかった時、NとHはそれぞれに、私と元夫の絵を書いていました。
彼がきていないと知って大泣きです。一年生のときでした。ステージの上に上がってそれぞれが書いた絵を見せるのですが、もうその時大泣き
「どうして、どうしてきていないの?約束したのに、、」と大泣きです。(今もそういう時、あります、そんなはずではなかったと大泣き)
その時に担任だった、W先生は、それが終わってから、私のところに来てくださっておっしゃった。
「誰も、彼女たちのお父さんにはなれません。でも、我々教師全員で、彼女たちを愛しますからいっぱい愛しますから
」って。
この時には、本当に泣けましたし、今も思い出しても泣けます。優しく、そしてジャンヌダルクのような体制に勇気を持って向かっていくところもおありでした。
先日、4月2日に行われる親子での「発達障害の講演」お知らせを持って久々に訪ねましたが、もう亡くなってしまわれたW先生を除いて、各学年で担任だった先生方、全員とお目にかかることができました。いや、W先生もそこにいらしていましたね。
そこには、私が25年前に見た、あの算数の授業をやっていたホールがそのまま。1学年1クラスのこぢんまりとした学校がありました。偏差値だの、進学先だのがますます大事にされる今、コンクリートなのにあたたかいこの学校の良さが身に沁みました。
4月1日は、私のソロコンサートがあります。
もしもお近くの方がいらっしゃいましたら、ぜひいらしてください。
そして4月2日は、親子対談の日です。今回のテーマは診断を受け入れるということに関してです。