発達障害の双子が社会で生きるって。。。
今日もこんにちは、そして訪問ありがとうございます。
すごく面白い特徴がある双子を育てている、、、という自覚しかなかった私が、発達障害の娘たちを育てているという意識を持ってから、約15年。その間にはいろいろなことがありました。
こちらに断片を載せていますが、学校を出てからの過ごし方が難しいところです。
二人とも芸術の道を進んでいるので、いわゆる自由業。自分のスケジュールを誰も決めてはくれません。
ここが大変。極端なことを言えば、何時に寝ようが、起きようが、仕事自体もプロジェクトによって始まり時間が昼だったり、夜だったり、そしてその日に寄って、集合時間、場所、色々変化があります。これは、「予定が立っていることが安心」の彼女たちには、不安定になりやすい要素です。
学校はその点、ある意味形があって、それに自分を当てはめていけばいいのですが、これが自由となると、、なかなか。。。
なので、学校でも、ルーティンがそのまま現実のものになる時はいいのですが、、、休校、先生の突然の欠席、補講、など急に決まるものは大変。
そして、自習になっても、ちゃんと「自習」をしていないクラスメイトに対しては????になるので、重ねて大変でした。
休み時間も、好きな学科に入学した二人には、「雑談」の意味が分からなかったんですね。好きな学科に入ったのに、なぜ関係ない話を??
そしてやってきたのは、にっくきコロナです。
コロナは学校を休校にし、予定も立たない。学校では時間で勉強を区切られるので、「はい、ここまで」がありますね。
ダンス、声楽、音楽の知識、どの授業にも終わりがある。
でも自宅での勉強にはありません。
どこまでやったらいいのか、わからず、自分を追い込み、精神的に参ってしまいました。彼女たちは、「人間は怠けやすい動物である」という公式が当てはまりません。自由になったら、倒れるまでやってしまう。これは今まででも何回かありました。
そんなわけで、学校という社会でも「???」がいっぱい。
できるだけ来てください。。。倒れるまで行きます。
できれば、やめてください。。。絶対にやりません。
でもそんなことになるなんて、思わずに私たちは、気軽に言ってしまいますし、多少の拡大解釈もあり。
なので、そこに誤解が生じます。
そして、彼らが社会で生きていくのに、「発達障害の人は、このルールで色々行われている社会に合わせて頑張りましょう、、という傾向があります。
本にも『顔を見たら、目を見て挨拶しましょう』なんて書いてあるものがありますが、、、。彼らは、目を見なければ挨拶できるのに、これでは両方できなくなってしまう。。。
顔を見たら、座っていては失礼だから、立って挨拶しましょう、、と足の不自由な方には言わないと思うのです。
社会に合わせて、やっとこさ、頑張ってやると、、彼女たちの「とても大変なこと」は「やればできること」と解釈されてしまうことがとても多いのですね。
ASDの人たちにとって、「なんだ、やればできるんじゃない!」って言われてしまうこと、 一見なんでもなく見えるものも、とっても頑張って頑張ってやっとできたものもあるんです。
定型発達の人たちには、とっても簡単なことでも。
だからこそ、社会に「理解しよう」としてくださる方が一人でも増えたらすごく嬉しいと思っています。