発達障害の双子が私のところに来た理由
と 私が傷つけた言葉
今日も来てくださってありがとうございます。
言葉に忠実な二人のエピソードは今までもご紹介してきましたが、私は逆にアバウトに物を言うので彼女たちとすれ違うことがあります。
写実的に語る彼女たち、抽象的な私、とも言えます。線路の上を歩くことで安心する彼女たち、線路があってもその上をなるべく通らず、冒険しようとする私、これだけ性格も頭の中も違う双子がよく私のところに生まれてきたと感心する毎日。
むしろ、彼女たちは私が学ぶべきことを運んできてくれたとも言えます。よく親は選べないと言いますが、実は選んで来たという記憶があるお子さんもいらっしゃいますね。生まれる前の記憶では、選んで来たことを鮮明に覚えている、、そんなお子さんもいるそうです。
彼女たちの脳が私の脳に似ていたら、もっと学ぶことが少なかったと思います。マイノリティの方々を無視して自分の思うまま、進んでいた気がするのです。自分の考えが正しいと、どこか押し付けて生きていたかもしれません。
彼女たちが居たから、世の中にはさまざまな考えがあるのだと少しは分かったのだと思います。彼女たちが居なかったら、きっと人間の多様性はわからなかったでしょうし、見えない障害のことに対しても興味を持ったかどうか、わかりません。
自分の生きてきた常識で彼女たちを測らない!言うは易しですが、人間、判断をするのに経験に基づくことは多いと思います。
その経験が役に立たない、、、、でも、よく考えれば的を得ている。そんな毎日でした。
彼女たちの脳に起こるパニック、『本人たちは何が起きているか全てわかっている』のですが、そうは見えません。
倒れる、大騒ぎをする、うずくまる、など皆さんが街中で見ると、大変!!お巡りさん、救急車!!!!
となるのは当然ですが、彼女たちは、そんな中でも、
「ああ、起きちゃった、大騒ぎになってる、どうしよう、暗い静かなところに行けたらいいんだけど、ああ、お巡りさん、呼ばないで、、知らない人がいっぱいきたらもっと落ち着かなくなっちゃう」
などと思っているそうです。つまり頭はそのまま全部わかっていて、会話もみんな聞こえているのだそうです。
予想と違うことが起きた時には(売り切れと書いていないのに、注文すると、、なかった時なども、そうです)このパニックが起きやすくなりますが、まだ彼女たちのことをわかっていなかった頃は、こういう時に、私は、「申し訳ありません」って謝っておりました。
人の足を踏んだら、相手を傷つけてしまったら、騒いでしまったら、その行為に対しては謝ることは当然ですが、その頃、私はまだ彼女たちを全くわかっていませんでした。
きっと
「発達障害があります、パニックを起こしています。ご理解いただけたら嬉しいです」
って言えていたら、彼女たちは、自分たちに対して、もっと「生きていてもいいのだ」と思えたと思います。
彼女たちのパニックに対して、周りに「ご理解ありがとうございます」と言えていたなら、、、よくそう思います。
毎回「申し訳ありません」って言われていたら私だって、自分は迷惑な存在なんだと思ってしまいます。
周りの方がお水を持ってきてくださる、、、申し訳ありません。
暗いところに連れて行ってくださる、、、申し訳ありません。
一緒に深呼吸をしてくださる、、、申し訳ありません。
記憶は定かではありませんが、私はそんな言い方をしていたと思います。ここのところ、「ありがとうございます」が言えるようになりました。それだけでも、全く違いますね。
彼女も『ありがとうって言ってくれてありがとう』そう私に伝えてくれました。
長いこと、待たせちゃったなあああ、この言葉。