小学生の時の、「私と音楽」
最近は発達障害のことについてお話しすることが多かったと思いますが、(はい、書いている感覚なし、話している感覚)
今日は音楽の話をしたいと思います。
TikTokで一昨日ライブをした時に、私の留学するきっかけをお話ししたのですが、留学まで思い切ったのには、ある作曲家の作品がありました。
1984年のロサンゼルスのオリンピックでは、ジョン・ウイリアムスがファンファーレを書きましたが、それが私の留学のきっかけとなりました。今から考えれば、昔々のことですね。
それまでに何人もの作曲家が好きになっています、、、
今日は小学生時代のお話を。
あの音楽室の年表の中で
いつも感心するのは、
バッハ
明るさに感嘆し、世にも悲しいメロディに涙するのは
モーツアルト
当時は良さがわからなかった
ベートーベン
なんだか歪だなあ、、?が
シューマン
今ひとつ、理解できない、、が
シューベルト
現代の作曲家のものは、聞く機会がなかったと思います。
上記は、小学生の時の印象です。
あくまでも当時の印象、、
クラシック以外では、、テレビ2局、ラジオ1局から全ての情報を得ていました。
ヒーローはモンキーズ デイビー!!きゃー、これ別格。
ビートルズ、ローリングストーンズ、ブラッドスウェットティアーズ(渋い!)たち
これは、大橋巨泉が司会をしていたフジテレビ「ビートポップス」で音楽を仕入れていました。
ジャクソン5、オズモンドブラザーズ、この辺はNHKのアンディウイリアムスショーが教えてくれたスターたちです。、
でも作曲していたのは誰だかわからなかった。。。
あとは、FEN(米軍向け AMラジオ 極東放送)を聴きまくっておりました。
サミーディビスジュニアとか、ペトラクラークとか、、洋楽への道はこのラジオから。。
でも上記3局で聞いていたものは、誰が作ったのかは、全く興味なく、、、
調べることもしませんでした。一方ではミュージカルのメアリーポピンズを見に行って興奮しておりました。
きっと作曲はずっと好きでした。っていうか、
作曲という意識はなかったのです。
ただ、楽譜通りに弾くのが好きじゃなかったんですね。
先生に怒られるのが嫌で、そうか、オリジナルなら、楽譜がないから、正解もないから、怒られないで済む!!
きっとそれが作曲のきっかけです。5歳ぐらいから作曲をして自作のピアノ曲で発表会に出て、ご満悦でした。
ああ、怒られなくて済んだって。笑。