発達障害の娘たちは「⭕️⭕️」が嫌い
昔から彼女たちは「差別」「不平等」
「偏見」
「色眼鏡」が嫌いです。
これは、自分たちが『発達障害 ASD 自閉スペクトラム症』 とわかる前からそうです。
幼稚園の頃、さまざまな障害がある子どもたちと一緒でした。
その時には、彼女たち自身に障害があるとは、気づかなかった。
今から考えたら、不思議なことですね。
生まれつき、足が動かないお友達。
何かあるとスルスルと屋根まですぐ登ってしまうお友達
それがきっかけだったのかどうかわかりませんが、幼い頃から「障害」に対してアンテナが立っていました。
点字図書館に行きたいと言い出したり、
車椅子を借りて街に出たり、電車に乗ったり。
そして、電車に乗る時、降りる時、
順番を守らない人にはくってかかっていました。
「順番が違います!!」
LGBTQ + に対しても、
人種に対しても、
マイノリティに対しても、
世界のニュースで流れる現実に心から怒り、それが受け入れられないほどになるとパニックになったりもしました。
なぜそんなことが世界に起きているのか?
同じ人間なのになぜ?と質問は止まりません。
いわゆる格言に言われていることと違うと、それは違うの?本当なの?とよく聞かれました。納得いかないと、延々に続きます。
人様には時々言われました。「よく、あのなぜなぜ
に付き合ってるわねえ」
でも、反対の立場だったら、私が質問する立場だったら、、とことん付き合って話してほしいと思うのです。
考えれば幼い頃に、
一度外を歩けないと言ったことがありました。
命はみんな同じ、私たちが歩けば、地上にいる虫を殺してしまうかもしれない、踏んでしまうかもしれない、そんなことできない。なぜみんな平気なの?と聞かれたことがありました。
これは難問でした。はい。
他にも、
『この絵本の最後のこの文、おかしいわよね。
自分がやったことを自慢しているような文章、、どうして?』
とか。。。
禅問答のようなこと、哲学??と思うようなこと、いっぱい話してきました、そして今があります。
最後までわけが分からなくても、きっと話をして、なんとかわかろうとしたり、なんとか説明をしようとする、その姿勢が大事なんだろうと思っています。なので、今でもそれは我が家では繰り返されています。
ヨーロッパでは、隣の国を、隣の県のように、簡単に跨げてしまいますね。だからこそ多くの戦いがあり、奪い合いもあった。だからこそ「共存」も学んでいますね。
同じ日本人でも、さまざまな人がいて、さまざまな人がいる、さまざまな考えも、癖も、障害もある、違って当たり前、それが当たり前、っていうところから話せたらいいのにな、、と思うのです。きっと同じ、、から始まらないで、お互い知り合うことって大事ですね。
下記は、3年前の個展で出品したものです。