発達障害の双子「どっちがお姉さん?」に?!💢

​​​​​​​

 

 

ね、そっくり。どっちがどっち?とよく言われたものです。

でも恐るべし!!母は彼女たちが校庭にいるところをほぼ真上から見ていても、頭だけしか見えなくても、どっちがどっちってわかりました。

そのぐらい、いっぱいいっぱい付き合いました。が、もう少し知識が欲しかったなあ。

 

ニコニコ 看板持ち 看板持ち ニコニコ 看板持ち 看板持ち

 

ただ、まだまだ小さい時から、「どちらがお姉さん?」と聞かれると

 

「どうして、それが大事なんですか?

どうしてどちらが妹さんですか?って聞かないんですか?」

 

って彼女たち、怒ってましたね。彼女たちなりのストレートな、とても純粋な疑問でした。

 

どうして初めて会った人が、どっちが姉妹に興味があるのか?

どうしてほぼ同時に生まれたのに(帝王切開で二人のドクターが取り上げてくださった)いつも書類にも姉妹を書かなけらばならないのか?

なぜなぜ?どして?どうて?の連続でした。

 

無気力無気力 無気力無気力 無気力無気力

 

二人は顔も似ていますし、流石にお腹の中から一緒にいた年月は長い!

仲の良さは天下一品!!

 

でも性格は、もちろん違いますし、発達障害でもその表れ方は違います。

アスペルガーという呼び名が一般的だった頃、彼女たちは、一人はアスペルガー、一人は違う

と何箇所かで診断されることになります。

 

プンプン キョロキョロ プンプン キョロキョロ プンプン

 

その度に、「この子はアスペルガーじゃない」と診断された一人が、今から思えば「わかってくれない、この人もわかってくれない」そんな思いだったんでしょうね、、、

言われた途端、そのクリニックから、飛び出す、逃げ出す、そんな時がありました。

書店に行っても「アスペルガーは天才」なんて本が並び始めていた頃です。

「どうぜ私は、、」と泣いてその書店を飛び出した。

 

足 足 足 

 

一人のパニックは分かりやすく、もう一人のパニックは私には分かりにくかったんです。

母親でさえ、わからなかった、毎日一緒にいるのにわからなかった、、

パニックの違いがわからなかった。本当に申し訳なかったという気持ちでいっぱい。

 

ラブラブ ガーン ラブラブ ガーン ラブラブ

 

その時のことを思い出すと、一つ一つ、一日1日がカオスだったなあ。

そしてお互いに彼女たちは、兄弟児のような存在にもなっていきます。

 

爆笑一人のパニックは、大声をあげ、居た堪れず走り回り、いつまでも泣く。

 

むかつきもう一人のパニックは、怒る、責める、攻める。

 

これが何年か続きます。

そして、いっぱいいっぱいいっぱいの事件やハプニングが起きて、、

街中で一人が乖離を起こして倒れる、、そんな時期もありました。結構長く続きました。

 

気を失っているようで、そうではなく、話せなくなる、立てなくなる、でも意識はある。

そんな時に、話せるのは、唯一、相棒の双子でした。

 

イエローハーツ タラー イエローハーツ タラー イエローハーツ

 

大変になる原因も、それを救うのも、相棒でした。

 

グー彼らは英語の手話に興味を持ち、簡単な会話なら指で表すことができていました。

 

OK電車の座席が離れても、あちらと、こちらで手話で話していました。

 

うずまき私には何のことだか皆目わからない、、でも彼女たちはそれで会話をし、倒れた相手が手だけは動かせるようになると、

元気な方が、彼女の状態を周りに伝えていました。

 

アセアセ 気づき アセアセ 気づき アセアセ

 

ああ、思い出しても大変な時。

そして、そうこうしているうちに、よく倒れていた方が、一歩も外に出られなくなります。

うつ状態に。。。

 

その時のことを考えると、、よくここまでエッチラオッチラ辿り着いたものだと今更ながら思います。

今は、多くの情報もネットや書店の本棚に並び、、カウンセリングの場所もクリニックも、開かれています。

当時は、相談する場所も少なく、申し込んでも数ヶ月待ちがザラでした。

 

母親は何でもわかっているわけではなく、自分の人生しか生きていないので、

どこか、何か、助けが必要な子なのかもしれない、、と思ったら、まずは相談に行くことをお勧めします。

これは、私の真の気持ちです。

 

泣くうさぎ ピンクハート 泣くうさぎ ピンクハート 泣くうさぎ

 

もっとわかっていたら、あんな思いをせずに済んだかも。。そう思うことがいっぱいあります。

だからこそ、今でもできること、助けになること、必要なこと、知りたいと思っています。