多くのコマーシャルソングを書き、一つ一つに大いなるインパクトを残した彼の作品の数々、亡くなって改めて拝聴し、その作品のしっかりした作りに「安心」しました。

彼がインタビューで言ったこと、今の曲はデタラメが多い、、
作曲をするものとしては、とてもその「デタラメ」に受けました。

文章にして書くのは難しいところですが、彼の作品を聞き、今のものを聞くと、その4文字の意味がよくわかります。

現代のものは、ふんふん、ふにゃふにゃ、たらりらーーーーしていて、骨が細い。
曲を面で捉えているものが多く、立体的な柱が見えない。そんな気がします。

彼の作品は設計家、建築家、配管工、電気工、それぞれが見える曲作り、そんな気がしました。

中村八大をはじめ、いわゆるシンガーソングライターではなく職業作曲家がいた時代、それと同じく、職業作詞家がいた時代、山のような引き出しのどこを開けて、何を作るか、たとえ作る時間が短くても深く広いその知識が名曲を生み出してきたのだと思います。

それでこそ生まれる安心感。彼の言った「デタラメ」という言葉はもしかしたら大きな転換期になるかもしれないと思うほどピンと来たのでした。

ここ数年、自分に足りないものとして「丁寧さ」がありますが、牛歩の歩みでも少しは前進したいと思っています。曲作りにも丁寧さが必要。

私の大好きなバート バカラックは変拍子の連続の作品を書きますが、だからといってデタラメとは全く違う、クラシックの流れを汲んだ確固たる美しさがあります。

安心感は、その人の勉強の度合いから出てくるものなのかもしれません。