本当に同じ気持ちになっている訳ではないけれど、相槌の一つになっている、「わかる、わかるよー」

そういう時ばかりではないとわかっているのか、そこまで考えていないのか、ちょっと平均的な考えて方をしない子供達がいると、そこにとても引っかかることがあります。

人によって、言い方も、受け取り方も千差万別で、何を言いたくてその言葉を言っているのか、ザックリと分かればいいのでありましょうが、

三時
大体三時
おおよそ三時
三時前後

などによってきちんと?使い分けをしてきた娘たちのその正確さを求める気持ちは、きっと私にはわかりません。

頭ではわかっても、気持ちではわからない。
その根本的なことを忘れると、わかったつもりで、最初の5ミリの違いが翌日になると5センチになっていることがあります。

だからこそ、会うこと、目を合わせること、すごく大切だとこのところ思います。
が、逆に、それができないから、本当にこれ、伝わってるかな?と思うこと、何を推すことも大事だと知りました。

何事も必ず学ぶことがある。
コロナでも、学べることはありますね。
でも、それどころじゃない、、そういう気持ちも、ただひたすらコロナが憎い、そういう気持ちも、逆によかった、、そんな気持ちも、混在している。

こんな時だからこそ、すてきな言葉を選びたいものです。