今年もまたやってしまいました(泣)
育てていたゴーヤの苗を1本、草と間違って刈ってしまいました。「大きくなってきたね」と、声をかけながら育ててきただけに、この罪悪感と情けなさはたまりません。
ゴーヤは茎が細くてわかりづらいのと、地面に垂らついているので、まだ大丈夫と調子に乗っているとやってしまうのです。もっと草の管理をまめにやっていればと悔やまれます。「ごめんなさい」と心から懺悔しておりました。そして来年こそは、絶対に失敗しないことを誓いました。
さて、気をとりなおして…
そんな自分を客観的に見て、思い出した本がありました。
宇根豊著『日本人にとって自然とは何か』です。
実は以前に、コラムを連載していた「季刊地域」(農文協)編集部から依頼され、書評を書かせていただいたことがあったのです。
身近な生き物や植物に対する「内からのまなざし」を取り戻すことこそが自然を守ることになること。
内からのまなざしとは、同じ生きものとして植物や虫に思わず話しかけてしまうような感情のことだそうです。
私も自然農の畑をしていると、農作物だけでなく、ミミズや蜂や虫やトカゲや鳥など様々な生き物たちと出会います。おのずと会話しながら作業してしまいます。
宇根さんは長年、この「内からのまなざし」を取り戻す活動を続けてこられました。納得の一冊でした。
そして、私自身のまなざしや活動を肯定してもらったみたいで嬉しくなりました。
以下に転載いたします。
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宇根豊著
『日本人にとって自然とは何か』
書評 安藤竜二
身近な生きものや植物に対する
「内からのまなざし」を取り戻す
私は自然を思う自分の気持ちを、これほどまで解体して考えたことはなかった。だが、読み進めるにつれ、著者の宇根氏が言う「考えなければいけない事態」なこと、そして、身近な自然を守る「鍵」がそこにあることを理解することができた。
たしかに、近頃の身近な自然を思うと、心が痛み、気分はモヤモヤする。新しい農薬が原因と思われるが、地元の兼業養蜂家は蜂が育たずやめる人が相次ぎ、「蜂飼いが蜂買いになった」と笑えない洒落も飛び交う。カブトムシやカマキリ、アゲハなど人気の虫も大好物のイナゴもいない。虫どころかスズメもほとんどいなくなった。
しかし、宇根氏は「自然が危機に陥っている」ことよりも、「自然を感じる」ことが困難になっていることに重きを置く。
それは、日本人が持ち続けてきた身近な生き物や植物に対する「内からのまなざし」が減少していることにあると言う。「内からのまなざし」とは、簡単に言えば、植物や虫たちに、同じ生き物同士の感覚で話しかけるような気持ちのこと。
驚くことに、全国の田んぼと畦と水路とため池には、動物二七九一種、植物二二八〇種(2009年調査)がいるのだそうだ。農家は稲だけでなく、その生き物たちと共に農業を営んできた。ご飯一杯、稲三株でオタマジャクシ35匹が育つ。
しかし、その農家が減少し、さらに農薬や機械化により農作業が簡素化され、農家すらも身近な生き物を感じることができなくなっているという。
宇根氏は、長年減農薬稲作を提唱するとともに、農家や子供たちに内からのまなざしを育む体験活動や、生き物とともにある稲作を消費者に伝える活動をしている。そして私たちに、農家にできるだけ殺生をしない自然にやさしい農業をするように頼むこと、そういう農家が生産した食べ物を食べるようにすることを促す。
モヤモヤが、少し晴れてきた気がした。
「季刊地域」No.39 2019年 秋号より抜粋
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杉田かおるさんも自然農をはじめて変われたそうです↓
「虫たちも鳥たちもみんないて、共存・共生していて当たり前な世界。それが自然の素晴らしさなんだと気づかせてくれました」
ちょっとこの方、見直しました。
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