人の死に影響受けやすい

前回の日記から いまだ 抜けきれない

死は重い

ひとりの死でさえこれほど重い


他者の身の上は自身にスライドしてくる

「死」に限らず

震災も人災も

ひとりの友人の 心の内も

スライドしてくる

悲しいかな私という人間は
解決する力も
癒やす言葉も
何も持ち合わせない ただのひと

そんな私自身に辟易する

鉛が呼吸器官を塞いで苦しいだけで

なにもできない
朝になったらクリニックへ検査に行かねばならないのに いまだ眠れない
食欲が無い
心臓がバクバクと鳴り
呼吸がうまく出来ない


実は現在、世界3大ツールのひとつ「ジロ・デ・イタリア」というサイクルロードレースがイタリアにて行われている

イタリア統一150年の今年、このジロ・デ・イタリア主催者も気合いが入っているらしく、
5月29日までの全21ステージは、イタリア統一にちなんだ街をコースにしながら国内を一周する形になっている

昨夜はそのジロの第3ステージの日であった
全体にはそれほど荒々しいコースでは無かったが、ゴール前30キロ辺りはボッコ峠の下り坂で、
テレビで見る限り、車道は狭くそれなりにカーブもある、なかなかテクニカルな坂道であったように思う

その下りの途中、
今季からレオパード・トレックというチームに加入したベルギー人のワウテル・ウェイラント選手が転倒(落車)した

草木生い茂る山道はヘリコプターのカメラからは捉えにくく、そのかわりバイクカメラがその様子を一瞬捉えていた

ウェイラント選手は路上に倒れていた

意識は既に無いらしく、医療チームや所属チームの人間が彼に心肺蘇生措置を施すべくジャージを裂き、ヘルメットのベルトを切っていた

ウェイラント選手の顔
たとえようのない 忘れようもない 表情というものが失われた、浮腫んだ虚ろな顔
血色とか そのようなものは 全くなく

ただ事ではない雰囲気が瞬時にわかった

峠の途中ということもあり、医療ヘリが止まれる場所が確保できないなか、
その場で40分以上の蘇生措置が行われたという

しかしウェイラント選手はそのままかえらぬ人となった

享年26歳

皮肉なことに 去年のジロ・デ・イタリア、同じく第3ステージの日
彼ウェイラント選手はステージ優勝を取っていた
それから一年後の同レース第3ステージの途中
彼は 彼は…

これが運命ならば
なんと皮肉なのだろう
なんと残酷なのだろう


今はただ
ワウテル・ウェイラント選手の魂が安らかであることを祈ろう
気が狂いそうなほど 悩むときがある

人間はなぜ思考するのだろう

そして、自分で自分の思考のアリジゴクにハマっていく

他者の発言に躍起に反論する自分がどこかで恥ずかしいと感じるのだが

それでも持論を貫きたいという自我ってやつが声帯から離れない

結果朝まで悩んだり泣いたり発作起こしたりして

自分で自分の体力を無駄に消耗する



人間賛歌 を謳い文句にしている漫画があるが(ジョジョの奇妙な冒険)

私はあの主人公達の考え方が理想であり かつ 現実にあのようでありたい と思う


フィクションに逃避していると言われるかもしれないが
果たしてどうだろう

人間の特性のひとつとして

希望を抱く
可能性を見いだす
未来を切り開く

という思考が備わっているのだから、私はこれらを信じて生きていきたい
可能性はいつだってあるのだ



「地球上から戦争は無くならない」とよくいわれる
確かに現在もどこかで戦争や内紛が起きている

しかしそれを全面的に受け入れてしまったら「世界平和」という言葉は死語になってしまう

戦争が無くならないなら
無くなるように信じ、行動し、可能性を未来に繋いでいくんだ

今は無理でも 未来は分からない


運命は切り開くものだ



結局、この考え方が基本軸なんだよね ワタクシは