年末年始、北海道チャレンジ(題名もテーマも変わり続ける。)は昨夜遅くに、家族全員無事帰宅しまして、終わりを告げました。
元旦は遅く起きて、お雑煮を食べたり御節を食べた後、北海道神宮に向かいました
到着がだいたい午後3時頃ですが、6時をまわる頃に帰宅したイメージです。(地下鉄の駅から円山公園内を列に沿ってゆっくりと移動しました。)
北海道の年末年始の体感温度は、どの日もだいたい16時前後を境にグッと冷えるという印象でしたが、この円山公園付近は本当に寒かったし、電車でそう遠くない中央区では雪が降っていなかったのに、地下鉄の階段を上がるとしんしんと大きな塊の雪が降り続けていたのに驚いて、強く印象に残っています
少し前に訪れた羊ヶ丘展望台では、いわゆるパウダースノーで、粒の粉雪という感じでした。数日で、そしてそんなに離れていない場所なのに雪の性質が随分変わったことも、凄く不思議でした
(地震のこと)
我々が地震速報のアラームを聴いたのは、北海道神宮の社務所で御朱印を頂き終えた後すぐでした。
何故こんな元旦に・・・そんな想いで大人三人は黙り込んでしまいましたが、せっかく神社にいるので、どうか被害が少しでも少ないようにと祈りながら帰途につきました。
夜、テレビのどの局も、地震についての速報を流していて、不思議そうな次男に長男が説明するのを見ながら、どうしても東北の地震のことを思い出しました。
我々は元々、一月二日に帰る予定だったので、北海道で過ごす最後の夜です。
家族皆で一緒に過ごすことの貴さのようなものを本当に有り難く感じながら、子どもたちがくっついて寝ているのを眺めていました。
一月二日。
朝早く起きて、北海道大学の構内を散策しました。
母は『動物のお医者さん』という漫画のファンだったので、その舞台となったキャンパスの冬景色に感動しました。
次男はそりすべりをしている親子連れや、雪だるまや鎌倉造りをしている親子連れを観ながら羨ましそうに歩いていました。
その後、新千歳空港まで電車で移動し、そこから苫小牧にタクシーで移動して、、、
初日に予約していたワカサギ釣りの湖に向かいました
↑氷上は本気で寒い。着膨れている父とやせ我慢の長男の薄着の対比が凄いです。(この後、体調悪くなりそう、と根を上げて長男も全ての上着を着ました。)
1時間半経過した辺りで、コレは1匹も釣れない気配がすると、母は感じ、、、憧れの天ぷら小屋に、『全然釣れないのですが、天ぷらをどうか有料で売ってもらえませんか』と、ちび助を連れてお願いに行きました。
『大丈夫、差し上げますからどうぞどうぞ(^^)』と仰ってくださった受付けの方々の優しさが温かかった!!!
次男と揚げたての天ぷらを頂いてテントに帰ると、長男と夫が、『奇跡的に一匹連れたんだよ!!!』と、、、興奮して見せてくれました
『釣れないかと思って、天ぷら貰いに行ってごめんよ』と言いつつ、4人で分けた天ぷらは、サクサクですごく美味しかったです!!!
しかし、天ぷらを食べたことである程度満足してしまい、、、そして寒さに負け、、、(氷上は本当に段違いで寒い。)それから30分ほどして、釣りを終了して帰路につきました。
(ワカサギはリリースしました。)
全然釣れなかったけれど、
一生のいい思い出になりました(^^)
写真右上は、長男が次男にクリスマスに贈った顕微鏡です。次男坊としては、釣れないワカサギ釣りなは早々に飽きてしまったので、雪や氷を観察したりして過ごしていました。(ただ、指がかじかんで上手くダイヤルも回せず、よく見えなかった。。。ので、結晶の写真無し、泣。)
長男も夫も暑がりなので、『UNIQLOの超極暖下着の使い道なんて無い!』と、クリスマスプレゼントを贈った当初怒ってましたが、ワカサギ釣りでは大活躍でした。『しばれる』の、体幹ができた感じです。
予定時刻よりも2時間早く新千歳空港に着いて、のんびり食べた札幌ラーメンを食べながらそんなことを思い出していました。
その後、我々家族は無事に目的空港に着きました。
着陸して、スマートフォンの機内モードを解除すると、この日のこの時間に飛行機で帰ることを知っていた友人や知人からLINEが届いていて、新千歳発の便の事故を知りました。
事故の影響は無く、我々は無事でしたが、大変なことが起きたのだと、そして亡くなった方々のことを思い、辛い気持ちになりました。
また、怖がりの次男が、もしも独りで乗った便であったら、とても辛いことになっていただろうとも思い、甘いと思いつつも、今回の独りでの飛行機移動の区間を往路のみに変更したことは、悪くない選択だったのかなとも思いました。
楽しい旅行記のはずが、
大変な年明けの記憶の備忘録も兼ねることになってしまいました。
自分に何ができるのかを考え、人の役に立てるようしっかり行動しながら、新しい年も粛々と日々を頑張らねばと思います。
震災や事故で亡くなった方々のご冥福をお祈りします。また、母として、子ども達が誰かの役に立てるような人になれるよう、しっかりと我が子達を育んでいきたいと思います。
長い文章にお付き合いくださりありがとうございます。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
明るい方へ、陽のあたる方へ、子ども達を導いていけますように