新年に、誰にも飼い慣らされぬ野獣の魂を持つ表現者が、ライブの最中、

心のバイブルのような詩を披露する。私のライフワークのような主催ライブ

「野獣のポケットには詩があった」を、1月20日、下井草のビリーズバーで

やって来た。

 

 

 2017年から始めたこの企画、第八回の今回は、湖春、芹田香織、

鳥井賀句G&Y、蓮沼ラビィが出演。音楽だけではわからない、

心の部屋を披露した。

 



 最近、恋も仕事も開眼したという湖春さん。子供達の先生をしている

彼女は、仕事に駆けつけるため、グレーのジャケットに眼鏡をかけて登場。

ガットギターの音色が優しい。ぶっきら棒に歌うが、声に低音の魅力があり、

少女のようにあどけなく見えるが、歌詞に冷徹なユーモアがある。

 

 

 彼女のポケットの詩は、「みかんも りんごも おたがいに くらべっこも

競争もしないけれど それぞれに いのちいっぱいに じぶんの 花を咲かせ

じぶんの実を つける」などの相田みつをシリーズだったが、宮沢賢治の

「雨ニモマケズ」を自分流に書き換えたものや、自作の詩の朗読、

君にうつつを抜かしていたあの頃の私より、君のことなんかどうでもいい、

今の私の方が好きだ、という詩や、幸せが壊れるのを恐れて不安になったり

しない、幸せな時はその幸せを全力で堪能する、という詩が、これまでの

人生で鍛え上げた彼女の哲学を感じて、よかった。

 

 

 最後に、眼鏡を外して歌った「very nice girl」は、学校なんてホントは

大嫌いだけど、禍の中に福を見つけて、はずんだ気持ちで帰る女の子の歌。

自然に手拍子が沸き起こった。

 



 「TOKYO AGAINST RACISM」のプラカードを立て、堂々とした立ち姿で、

魂の歌を繰り出す芹田香織さん。

 

 

 

 日韓ハーフの彼女は、亡くなった母親が在日コリアン二世だった

ことを語り、この国ではいつまでもヘイトスピーチが終わらないこと、

今回の能登半島地震でも、朝鮮人が井戸に毒をもったとか、外国人の

窃盗団が来るとか、まるで関東大震災の頃に逆戻りしたかのような

デマがツイッターで流れたことを語る。

 

 

 差別が無くなることはたぶんないと思う、でも、ダメだとか、イヤだとか、

NOを言うことは出来るし、そういう社会は作れるような気がします、と

言って歌った「空の上のシリウス、路上の青い火花」は最高だった。

まぶしいまでの気迫、そして、抱きしめたいほどの愛しさ。

疾走感溢れるギターで、父親との思い出を歌った

「クラウン・マジェスタ」に涙が湧く。

 

 

 いつも、淋しかったという。結婚しても、子供を生んでも。

でも、冬に一人で歩くのが好きだという。立ち向かっている気がして。

そんな彼女のポケットの詩は、「若さとはこんな淋しい春なのか」。

25歳で白血病で逝った住宅顕信の一句は、この日の彼女の佇まいと共に、

胸に刺さった。

 

 ボーイッシュな魅力の彼女だが、「冬の夜の空」では、女性的な魅力も

感じて、ドキッとする。小さな星から一等星まで引き連れて、冬の夜空を

まとい、面影あるから見つけてね、と踊る女性は、香織さん自身の

ようでもあり、亡くなったお母さんのようでもある。

星になったお母さんのためにも、これから社会へ出て行く子供達のためにも、

そして、己自身の魂のためにも、芹田香織は闘い、歌う。

 

 音楽評論家の鳥井賀句さんとギタリストYoziさんの兄弟分ユニット、

鳥井賀句G&Y。賀句さんの批評精神溢れるストレートな歌とギターに、

Yoziさんの肩の力を抜いたギターが、絶妙に絡む。

 

 

 

 

 そんな二人の個性の違いから、それぞれの心のポケットの詩が楽しみだった。

Yoziさんが選んだのは、70年代の伝説的ロックバンド、村八分のボーカルの

チャー坊が書いた「草臥れて」の歌詞。

「歩いても 歩いても 果てどなく 果てどなく 握りしめた手のひらは

 汗ばかり 汗ばかり・・・・・・」ブルースだなぁ。ピッタリだ。

 

 

Yoziさんいわく、チャー坊はヒッピーでジャンキーで、40過ぎに亡くなったが、

単なる荒くれ者ではなく、京都で生まれ育ったこともあり、詩の中に情緒や哀愁や

悲哀が込められている、とのこと。Yoziさんの人柄にも通じるものがある。

 

 賀句さんが選んだのは、アメリカのコメディアンで、辛辣な諷刺で世相を批評した

ことで知られる、ジョージ・カーリンの詩「この時代に生きる 私たちの矛盾 」。

 

 

「ビルは空高くなったが 人の気は短くなり 高速道路は広くなったが 

視野は狭くなり・・・・・・」。文明の進歩で余った時間をろくなことに使わず、

人としての価値はどんどん下がり、文化や愛や寛容さが衰え、憎しみと争いが

絶えない現代社会を痛烈に批判する。そして、最後に、忘れないでほしい、と

訴える。愛する者と過ごす時間の大切さを。もう逢えないかもしれない人の手を

握り、その時間を慈しみ、愛し、話し、かけがえのない思いを分かち合おう、と。

非常に頷く所が多く、賀句さん自身の歌「2024」にも通じるものがある。

 

 新曲「格差社会」は、明日は我が身の難民ブルース。二人の息もピッタリで、

ギターのリフもカッコ良く、「2024」は、先程の詩の朗読効果もあって、

すごく盛り上がった。1999年に作り、毎年、年を変えて歌っているというが、

それだけ、内容が預言的なものであるといえる。ここで歌われる現代社会の

病と狂気はますます加速する。そんな中、「こんな狂った世界の中で

僕はまだ愛を探している」という歌詞が耳に残る。

決して愛を諦めず、語りかけることを止めない人なのだ。

 私が今回、選んだのは、軍事政権と闘い続けた韓国の詩人の詩。

それを朗唱する前に、日本の現状について歌った。

 

 

 日本は民主主義の国なのに、自由も人権もあやふやで、すぐに踏みにじられる

のはなぜだろう。それに対して怒っても、本気で変えようとしないのはなぜだろう。

そう考えて作った「今日も誰かが」。政府の金持ち優遇政策で、貧富の格差は

ますます広がり、ホームレスになった人が殺されても、誰も何も関心が無い。

東京を逃れ、西で路上生活を送る友へ、そしてこの世界の不条理に苦しむ全ての

人に向けて「Keep on running」を歌った後、金芝河の「灼けつく渇きで」を

朗唱した。我が青春のバイブルであると同時に、今も心に火を点す詩だ。

 



「灼けつく渇きで」 金芝河

夜明けの裏通りで
お前の名を書く 民主主義よ
わが念頭からお前が去ってすでに久しい
わが足がお前を訪なうことを忘れて
 あまりにも久しい
ただ一筋の
灼けつく胸の渇きの記憶が
お前の名をひそかに書かせる 民主主義よ

明けやらぬ裏通りのどこか
足音、呼子の音、扉を叩く音
一声長いだれかの悲鳴
うめき声、哭き声、ため息、そのなかに、
 わが胸に
深く深く刻まれるお前の名の上に
お前の名の孤独な輝きの上に
よみがえる生の痛み
よみがえる青あおとした自由の想い出
よみがえりくる 捕われて行った友らの
 血まみれの顔

震える手 震える胸
震え こみ上げる怒りをこめて板ぎれに
白墨で、ぎこちない手つきで
書く

息をこらしむせび泣きつつ
お前の名をひそかに書く
灼けつく渇きで
灼けつく渇きで
民主主義よ 万歳


 金芝河は、1970年前後の韓国の民主化闘争をリードした詩人。

朴正煕大統領の軍事独裁政権を批判する詩を書き、何度投獄されても、

釈放される度に民衆に向かって詩を書き、1974年に死刑判決が出ても、

言論弾圧に屈しなかった。これは決して過去のことではなく、今も、

ミャンマーの軍事政権と闘う民衆を励ます詩人がいる。その詩人が

殺されると、次の詩人が詩を書き、生きたまま燃やされても、人々を

勇気づけることをやめない。だから、軍事政権は詩人を恐れる。

人々の心に不屈の火を点し続ける詩人を。

 

 

 日本でも、かつて言論弾圧があり、自由と人権を求める人々や、

貧富の格差を無くそうとする人々が捕らえられ、拷問され、殺された。

そんな世の中に逆戻りしないためにどうすればいいか、何が出来るかを

考え、この詩を選んだ。そして、朝鮮が日本の植民地だった1920年、

祖国の独立を求め、洪蘭坡という青年が作曲し、友人の金享俊が朝鮮語で

作詞した「鳳仙花」に、日本語の詞を付けて歌った。

 



 私が、音楽を通した心の父のように思っている、在日コリアン二世の友人

黄秀彦さんに捧げた「朝鮮語で語りかけてください」は、芹田香織さんとの

出会いの曲でもある。この歌を歌った2018年の国会前のイットクフェスで、

韓国人に対するヘイト街宣への抗議デモに初めて行った帰り道、立ち寄った

香織さんが、この歌を聴いて私に話しかけてくれたのだ。

それが、彼女との今につながり、感慨深い。


 そして、鳥井賀句さんは、私が駆け出しの頃に出演していたライブバー、

ソウルキッチンのマスターで、歌もギターも下手な私の歌詞の作家性に

注目し、素晴らしい蓮沼ラビィ論を書いて応援してくれた。

2017年にソウルキッチンが閉店になった時、感謝を込めて作った

「魂の台所で」を歌った。現在のホームであるビリーズバーに、

かつてのホームであるソウルキッチンのマスター、賀句さんのG&Yを

迎えることが出来、うれしかった。

 



 元日に能登半島地震が起き、被災地で苦しんでいる人達のことを思うと、

なかなか心を奮い立たせずにいた。日本中、心が被災した状態だったと思う。

だが、ある時、気づいた。自分が元気にならなければ、人を助けることも

出来ない。まずはこの主催ライブを成功させ、みんなに楽しんでもらい、

元気になってもらおう。お客さんがたくさん来てくれてチャージバックが

出たら、自分の分を被災地に送ろう。そう思ったら、力が湧いた。

 

 そうしたら、本当にお客さんがたくさん来てくれて、それが叶った。

みんなに感謝を込め、東日本大震災3日後に作った

「家でテレビを観ているよりも」を歌った。

能登半島地震の被災地の復興、心の復興を願って。

 



 芹田香織さんが、「私の分も一緒に寄付してください」と申し出てくれた

ので、彼女の分と私の分のチャージバックを合わせ、CDの売り上げと

ポケットマネーも加え、ぴったり1万円にして、1月22日、郵便局から、

「石川県令和6年能登半島地震災害義援金」の口座に振り込んだ。

観に来てくれたお客さん、一緒に頑張ってくれた出演者、

店主のビリーさん、みんなのおかげなので、「蓮沼ラビィ主催ライブ

『野獣のポケットには詩があった』有志一同 代表:蓮沼ラビィ」で

送金した。皆様、本当にありがとう!

 

 

 


 自由じゃなくても、民主主義でなくても、人は生きられる。

だが、誰かに脅かされて萎縮したり、誰かを踏みつけてケチな

優越感に浸ったり、そんな風には生きたくない。戦争に駆り出され、

殺し、殺されるのも真っ平だ。平和に生きる権利は誰にもある。

誰もが自分の人生の主人公。エリート達の捨て駒じゃない。

だから私は、民主主義を守りたい。

 詩は時に剣よりも強く、心の飢えを満たすパンにもなる。
あなたの心のバイブルのような詩は何ですか。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photos by くまさん、カツオさん、ペンギンさん、香織さん、ラビィ

 

 

~蓮沼ラビィ 近日ライブ~

 

 

●2月10日(土)谷保・かけこみ亭

 

 

「語り歌の継承 vol.81」

 企画/出演:館野公一

 ゲスト:蓮沼ラビィ

 

 19時開演、投げ銭

☆谷保かけこみ亭 南武線谷保駅北口徒歩3分

東京都国立市富士見台1丁目17−12 エスアンドエスビル

TEL042-574-3602

●2月23日(祝・金)久米川・すなふきん

 

 

寺本幸司プロデュース

「2024 NIPPON FORK & ROCK NIGHT in SNUFKIN」

 

開場:17時半 開演:18時

料金:3000円+2オーダー

出演:蓮沼ラビィ、鳥井賀句G&Y、TETSU-KAZU

 

寺本幸司/日本の音楽プロデューサー。

 

 浅川マキ、桑名正博、りりィ、イルカ、南正人、下田逸郎、

てつ100%、遠藤響子などを手がけた。

自身もアーティストとして、絵画作品や小説等を発表している。

 

鳥井賀句/音楽評論家・音楽家・中国占い師ともしられ数々の著書を出す。

 

 パティ・スミス : 愛と創造の旅路(ニック・ジョンストン 著 ; 鳥井賀句 訳)

 ジョニー・サンダース追悼写真集 ( ボーン・トゥ・ルーズ 鳥井賀句 編)

 パンク・ロックを超えて : インタヴュー集 鳥井賀句 著

 ロックン・ロール・ハート鳥井賀句 著
 魂のロッカー達 : ワイルド・サイドを歩け 鳥井賀句 著

 ハート・オブ・ストーンズ 鳥井賀句 著

 ジョニー・サンダース : イン・コールド・ブラッド 

 (ニーナ・アントニア 著 ; 鳥井賀句 訳 )

 ワイルド・サイドを歩け鳥井賀句 著

 ハロー・アイ・ラブ・ユー : ロック・インタヴュー集 鳥井賀句 著 等々

 

蓮沼ラビィ/アフリカ帰りの任侠ブルース。

 

 アフリカ人と結婚してケニアに暮らし、離婚後、帰国。

詩人として、ライターとして、ずっと言葉の世界に生きて来たが、

アフリカで開花した本能でギターを握り、作詞作曲、2010年より

ライブ活動開始。事情を抱えた家族の歌や菩薩のようなロマンポルノ

女優に捧げる歌、在日外国人との共生や東日本大震災後の人々の

無関心さを訴える歌など、社会性や物語性あふれる歌を書き、

大地のような温もりとパワーで歌い続ける。
 

CD:「劇中歌」「家でテレビを観ているよりも」「革命家の休暇」

 

 

TETSU-KAZU/寺本幸司がプロデュースを手掛ける。