陳 大全師との修行 3 | 三論宗 護顕院法永{陳 志摩}  日本再興後援会オフィシャルブログ 

三論宗 護顕院法永{陳 志摩}  日本再興後援会オフィシャルブログ 

{三論宗}飛鳥時代に渡来した最初の仏教。そして聖徳大師が指示し、憲法17条を制定した。波乱万丈の十代を経た後、自ら宗教の道に身を投じ日本列島八往復半、十六年間に渡るすざましい修行の末に大師がたどり付いた「己の使命」その「想い」護顕羅摩法、唯一の伝承大師。

 


今回は、師匠との修行の様子を語ろう。


15歳年上の師匠と獣道を歩き、2年で青森から鹿児島まで

一往復した。一日五十キロ前後歩かなければ、往復できない

勘定になる。

 山の中でニホンザルの集団に会うことがあった。ボスを筆頭

に何十匹も群れをなしていた。師匠は、この群れとの親交が

深く、すぐにボスが近づき師匠の毛ずくろいをするそうだ。

新参者の大師様には、若いサル達が集まってきたそうだ。



  一休みすると、鉄の爪を装着し、護顯羅摩法の戦いが

始まる。人間の急所を狙い、特に目を最初に負傷させれば

断然有利となるため、ここを狙う。最初は、師匠に負け続け

たが、十年もの歳月が過ぎた頃には負け知らずになったと

聞く。


 護顯羅摩法は、武道の基礎でもあり、舞踊の基礎でもある。

これを習得した「チンギスハーン」は、アジア大陸を制覇した。

中国に入り、「少林寺拳法・太極拳・カンフー」に変わり

韓国では「テッコンドウ」に、日本では「柔道・空手」に

変化した。


  二人は、時間を忘れて徹底的に日が沈むまで戦った。

大師様の顔や身体には無数の傷跡がある。


  幽谷に滝が有れば、お経の書かれた和紙にロウソクの

蝋でコーティングした巻物を持参し、読経しながら何時間も

打たれ続けた。(そのほうが、師匠と歩くより楽だったと

語られた。)


 滝行を続けていると、師匠が小石を投げて、「いい加減に

出なさい。」という合図なのだ。水から上がると、師匠は

焚き火をして待っていてくれた。


 修行十三年目のある日、福井は黒部ダムの付近、当時

「国民休暇村」の施設が有った所に、毎度滝行する場所が

有った。 凍てつく気温の中、大師様はいつものように滝に

打たれながら上がって来た。師匠の待つ焚き火に当たると

みるみる体中に真っ赤な模様が浮き上がってきた。

「お~!お釈迦様の没後三千年経った時、弥勒菩薩が

現れると聞いておったが、二千年目に弟子のお前に

現れるとは!!」 

 腕・背中・両腕・両足に弥勒様がきれいに現れていたのだ。

私は、一度背中の弥勒菩薩を見せて頂いたことがある。

腰骨あたりが、弥勒様の笑った笑顔に見えた。


 それから師匠と弟子が逆転するのだ。

大師様が、先頭を歩き、師匠が重い荷物を担ぎ後を追う

形となった。


「お前は、いつも私の傍に居なさい。そして、唖の振りして

患者の前で一言も話してはならん。じっと患者や周囲の

人々を観察していなさい。人の心を見抜く技を身に付ける

ことが大事だ。」と言われた。


修行十四年目の七月一二日、「私は、八月十三日午前十時に

死ぬ。決して蘇生してはならぬ。六五歳まで世に出てはならぬ。

六五歳過ぎた頃、世の中が乱れ不穏な空気になる。その時

お前は世に出て、仙人の姿で世の中にもの申せ。」

「それまでに人を蘇生すると、お前も死ぬほど苦労し

五三歳の八月十三日、午前十時に死ぬ。」そう言われ

一ヶ月後、予言通り亡くなられた。




今回は、ここまでにしよう。

次回は、別な修行内容を語ろう。

               護顯院蓮実 感謝 合掌