「麦秋」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

28歳独身女性の紀子(原節子)に舞い込んでくる縁談話から、同居する三世代の家族がそれぞれの思惑をこぼしていく。結婚の当事者の気持ちよりも家柄や体裁が幸せの条件だと決めつけてしまう因習、女性の忍耐が家庭円満の秘訣なのだというジェンダーハラスメントがこぼれてくる。小津安二郎監督の1951年製作作品。AmazonPrimeにて配信中。

 

紀子は平穏な空気に潜む不条理な行く手に立ち向かう。そこに確信はない、直感かもしれぬが安易に同調しない信念が清々しい。幸せはつかみどころなく流動する。それでいいじゃないか、過去や慣わしにとらわれるよりも瞬間の情景に親しむのがいい、と新たな生活を肯定する終幕が印象深い。

 

当時の風潮との差異に少し戸惑う現代の私たちが、そこ(価値観)を問いただしていくのは不毛である。あの時代背景の日本で生活する市井の人びとの思いが一人ひとり分かる、脚本や演出、演技力の巧さに注目しよう。特筆すべきは紀子の母親(東山千栄子)の存在である。彼女もまた慣わしによって嫁いで子供を育てた。周囲の意見に従うことが美徳とされて自身の意見は我慢してきた。しかし "ある事実" を知らされた時に思わず本心を出してしまう。それは娘である紀子の不憫を自身の境遇に重ねたのであろう。主張を隠し持った女性の静かな憤りが今作のテーマへと結実する。伝統的な家族観への不審は現代社会にも通底している。

 

最後は家族バラバラになる。それは悲しいことではなく、不変な共生などない無常を表現している。それを受け入れる老夫婦は世情を諒解している。伝統は少しずつ変化する。それ(伝統)を変わらないと豪語するのは思い込みであり本質を見誤っている。そう言えば、"刷新" と言いながら胸中は "変えたくない" という為政者がぎょうさんいるね、社会情勢よりも私利私欲を先んずる愚の骨頂、偉そうな権力者よりも今作の老夫婦は聡明である。 

 

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