「アトランタ シーズン4」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

前シーズンは一行のヨーロッパ外遊が舞台となっていたが、この最終シーズンはホームであるアトランタの街に戻ってくる。だが、アーン(ドナルド・グローヴァー)とペーパーボーイ(ブライアン・タイリー・ヘンリー)、ヴァン(ザジー・ビーツ)そしてダリウス(ラキース・スタンフィールド)の四人が絡む騒動は希少となる。各話それぞれ独りの行動が物語の主軸となり、互いの会話の間を楽しむことが出来ない。これはあまりに人気者になってしまった役者陣の撮影スケジュールがうまく調整できなかったのだろうか。

 

そんな構成に物足りなさを感じてしまうも最終話でグイと盛り返す。この技量に舌を巻く。このドラマは、人種差別や資本主義の疲弊に対して正論を振りかざすのではなく、ある種の暴力性を伴いながら不謹慎そのものに真価を見出す痛快感を内在している。

 

コンプライアンスやガバナンスを主張する社会は、弱者への救済というメリットが拡張する。しかし規律の核心を見失ってはいないだろうか。要は保身に終始してしまうと、失敗出来ない窮屈さを増長して何もしないことが得策だと勘違いしてしまう。間違っていてもいいじゃないか、そこで本人が謝ればいいし、相手は許せばいい。正しさ(正義)は精神的な暴力性を潜ませて現代の病へと変容する。

 

モラルは "ある側面" で苦痛を伴ってしまう、だからと言って不道徳で良いという定義ではない。ある程度の "毒" をもって健やかな生活は維持できる。かなり乱暴だが、規律正しい営みはどこかで破綻するリスクを常に抱えている。このドラマはそんなメッセージをシニカルな態度で表現する。底意地の悪いユーモアだが、そこには被差別側の歴史も垣間見せていて彼らの魂の叫びは一筋縄ではいかない。

 

御法度の “夢オチ” も彼らの手にかかれば、病んだ社会をアイロニーな手法で描き出す。彼らの狂騒の深層をどう読み解くのか、見事なラストシーンから作り手の作品への愛情が伝わってくる。珠玉のドラマ「アトランタ」の製作に携わった人びとに感謝したい。

 

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