「洲崎パラダイス 赤信号」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

赤線地帯・洲崎の橋のふもとにある居酒屋が舞台、金欠のカップル義治(よしじ)と蔦枝(つたえ)がここへ舞い込んでからの人間模様が描かれる。井出俊郎 寺田信義脚本、川島雄三監督作品。1956年製作。AmazonPrimeにて配信中。

 

三橋達也演じる義治の不甲斐なさがこの物語の主軸となり、死を予感させながら生き抜く決意へと向かう。小道具や言葉(キーワード)を使った伏線ではなくエピソードを積み重ねた終盤、台詞(せりふ)無しで見つめ合う義治と蔦枝の表情がこの "決意" を滲ませている。これぞ映画の魅力である。

 

私はここぞとばかり作品のテーマを台詞にして言いきる演出が好きじゃない。さらにそこで泣き叫んでしまうくだりになると目も当てられない。それを観ているこちらが泣きたくなる。"ここまでの映像表現台無しじゃないか" "テーマを様々な技巧を凝らして表現するのが映画なんだよ" と断言する。周囲から "大人げないこと言うなよ" と諌められてもケチつけられても、ここは譲れない、態度を改めない。なんのために映画観てるの、手取り足取り分かりやすい表現で投げかけられてもこちとら素直に受け止めないよ、日本の受験教育みたいに答えがひとつしかない方程式なんてつまらない、と噴飯ものなのだ。ここ試験に出るからねー、ここで作品のテーマ言うからねー、思わず胸ぐら掴みたくなる。

 

今作でも小道具を用いた伏線(子供が遊ぶ刀の玩具)はある。しかしこれみよがしな使い方ではない。ここでも死が要(かなめ)となる。身体を斬る・縁を切る、世の無常を象徴する場面は台詞で補足する野暮な演出ではなく、どこかしら品があり物悲しい。生きることは素晴らしいという "賛歌" じゃなく "覚悟" を提示する。これぞ…なんだよね。

 

私と同じ受け止め方をしなくて当然、映画は観客それぞれが違う答えを持っていい。だからいろんな映画の批評記事を読んで楽しめる。なるほどそういう解釈もあるのか、とこちらが気付かなかった所にも作品の主題は潜んでいたりする。作品をきっかけに様々な事柄へと探究するするのも一興である。

 

これは調査ではありません。点検です。

 

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