「ボイリング・ポイント/沸騰」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

ロンドンの高級レストランを舞台に94分間ワンカット撮影で繰り広げる人間模様は、丁丁発止する感情が小さなトラブルとなって積み重なり言動がエキサイトしていく。

 

どのような職場であれ、自身が担当する職務への熱意よりも重要な要素として人間関係がある。周囲と馴染めなかったり嫌われていたりしたら早く辞めたいと思う。人種や職種は違えど、"あるある" として共感できるキャラクターが巧みに行き交う。言えない、言わない、でも言わざるを得ない、言葉の暴力が相手の心を傷つけて悔やんでしまう。この小さな世界で癒される時間はSNSが介在したバーチャルなのか、それとも精進する舞台からの退場なのか、残酷な現実を目の当たりにする。

 

様々なハラスメント、格差、そして過重労働、人間のミスや抗えない境遇にストレスを抱え込むのは、弱者や優しい人々だけでなく加害者も満たされぬ自己顕示欲に憤然とする。人は誰かに認められたい、評価してほしい、優遇された生活を大なり小なり望んでいる。現在よりも明日は良き日を願うのは当然であろう。しかしふと立ち止まって欲しい、誰かを傷つけていないか、周りに何があろうと見て見ぬ振りしておけば面倒に関わらなくて済む、なんて自己保身に浸かっていないか。ギスギスした社会は綻びがいずれ誰の手にも負えなくなる。"知らなかった" で逃げるのは政治家の常套だが、日常生活の中でどこからともなくSOSは発信されている。もしや?その時寄り添う事が大切である。

 

ここに登場する人物は皆自分の事で精一杯になっている。同じフロアなのに調理スタッフと配膳スタッフの間に見えざる壁がある。正規雇用と非正規雇用の衝突が露呈する。そんな新自由主義、自己責任の是認が刺々しい職場を包んでしまう。食を嗜む客に安らぎを提供する場の裏で、不穏な感情がグッと押さえつけられている。本当は我慢せずに自身の意見を解放したいのに理性で我慢している。

 

では何が得策なのか、各々自己主張して解決する道筋は難しいし時間を要する。効率化を求めてそれぞれの役割が限定されて全体を見通せなくなる。言葉が削ぎ落とされて届く範囲が狭小になる。これは現代社会にも通じる。グローバル化された社会は視野が狭くなる。つまり広過ぎて見る・知る世界を限定してしまう。すると何が起きるか、都合の良い、心地良いものしか受け付けなくなる。あとは知らない、関わらない、で済まそうとする。それが自己責任と繋がっている。ならば、時間をかけても効率悪くても視野を広げていこう。そこに知らなかった、無関心だった世界がある。素晴らしき理想郷とはほど遠い、都合の悪い、心地良くないものもあるが、自省も含めてそこから新しい知識や観点を身につけて成長できる。視野を広げてこそグローバルなのだ。

 

主人公は正しい道を歩もうとする。しかし彼の言葉は素直に届かない。偏見が邪魔をして悪い方へ舵を切ってしまう。身体が時間に振り回されると破綻が待っている。今作のラストはワンショット撮影という時間に密接する主題が終焉を迎えると同時に主人公の運命を見定める場面へと転じていく。彼は立ち止まるべきだった、時間にロスは無い。

 

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