「ベイビー・ブローカー」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

是枝裕和監督が現地キャスト&スタッフと共に製作した韓国映画。赤ちゃんポストに預けられた赤ん坊を介して人身売買そして家族のあり方を物語る。

 

つながりたい "他人" とつながらない "家族"、果たして "どちらが罪なのか"、これを各登場人物が自身に問いかけていく。そこには "金銭" "倫理" "法規" "人情" 様々な基準が交錯する。共通するのはその先に幸せを求める "人権" である。人身売買という犯罪を成し遂げたい者、取り締まりたい者、そして赤ん坊の未来を案ずる者、誰もが現状に満足しておらず、誰かから被害を受けたと思い込んでいる。命を育てるという営みを社会へと押し付ける無責任は当人の優しさの喪失である。生まれることへの不信は、追い求めていたはずの尊厳を苛む結果となる。命を守るプロセスは保身に執着するのではなくまず他者を守るべきであり、回り回って自身が守られる、そこに彼らは気づく。

 

この主題はいいのだが、ディテールが雑すぎる。結局あのGPSは誰が仕込んだのか、チンピラはいつ "あの赤子" の行方を把握したのか、最初にクリーニングを頼んだ血染めのシャツは誰のものなのか、随所で観客は困惑する。GPSが警察のものではないはずなのに刑事は翻弄されるし、高速列車に乗った主人公たちを待ち構えたチンピラは偶然すぎるにも程があるし、真犯人は別にいるのにチンピラがご丁寧に被害者を抱きかかえたならば、そんな証拠紛いのシャツなんてどこかに捨てる方が得策に決まっている。どうにも腑に落ちない箇所が目立ってしまう。

 

物語の要(かなめ)はぺ・ドゥナ演じる刑事の心境の変化であるが、彼女にまつわる挿話が物足りず終盤の砂浜の場面が訪れてもこちらは高潮しない。"彼女が家族を見つめ直す=他者も家族になれる" ラストはもっとやりようがある。途中、部下の刑事が云う "どちらがブローカーなのか" は印象深い場面であり、そこから刑事の苦悩が始まる。是枝監督の過去作品にも共通する "弱者が互いに寄り添う共同体" だけでなく今作は公権力側の描写に重点を置いているならば、その人物が自身の立場に疑念を抱く要素をもっと仕掛けてほしい。

 

最近の是枝監督の動向を映画好きの端くれとして応援している。映画製作や劇場の支援そして製作現場の労働環境改善などに取り組む機関「日本版CNC」の設立を目標に掲げるニュースに賛同する。既得権益をどう変えていくか、次世代の映画製作環境を構築する上での課題は山積しているが、一つひとつ皆で声を上げていこう。従順では社会は権力側の思うがままであり "弱者が互いに寄り添う" 現状から一歩踏み出して "影響力ある者に向けた変革" を求める。そうだ、是枝作品に欠けているのは "変えようとする暴力性" である。今作に暴力はある、しかしそれは手段のひとつであり、ここで訴えるのはテーマとしての暴力性である。これからは観客に向けてガツンとみぞおちに食い入るような作品を期待する。

 

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刑事(ぺ・ドゥナ)が電話口の向こうにいる旦那に聴かせる曲はエイミー・マン「Wise up」。彼女がつぶやく "一緒に観た映画" は「マグノリア」であろう。その監督であるポール・トーマス・アンダーソンの最新作「リコリス・ピザ」が7月1日から公開される。観ます。今年の注目作。