前シーズンより引き続いだセクハラ問題をさらに深化させていく構成によって、女性の視点で性行為を多角的に物語っている。ジェニファー・アニストンとリース・ウィザースプーン主演の連続ドラマ。全10話。AppleTV+にて配信中。
ネタバレしません。朝の情報番組「ザ・モーニングショー」の看板キャスター、アレックス(ジェニファー・アニストン)とブラッドリー(リース・ウィザースプーン)が前任キャスター、ミッチ(スティーヴ・カレル)のセクハラ騒動で窮地に陥った番組を立て直そうと奔走するシーズン1の最終話が珠玉の出来だったので、ハードル上がるの覚悟で製作している作り手の気概が伝わってくる。"そうくるか" の連続で第1話は進行する。時を隔てた人間関係がひとつずつ解きほぐされていく仕掛けに見入ってしまう。
精神的、肉体的に虐げる悪行もあれば、不倫という許されぬ愛情、枕営業という打算、あれはハラスメントだったのかという自問、その価値観は世間と照らし合わせて初めて気付くものであったり、故意じゃなくても性依存症に支配されている境遇もある。それもこれも二元論として "善悪" でレッテルを貼り、"悪" を社会から排除して問題解決となるのか。最終話ではコロナ陽性者にもこのレッテル(善悪)で分断しようとする世間を訝しむ。罹患はもとより性行為の過ちを "許し" てはいけないのか。このテーマは人権に波及する社会問題である。
差別やハラスメントは根絶すべきだと訴える作り手の姿勢はブレない、しかしバッドセンスは徹底して茶化す。それは権力者であれ市井の人々であれ関係なく "そのセンスどうかしてる" と揶揄する。その描写はそのまま作り手のセンスとして真っ向勝負する。真摯にふざけてる、クソ真面目じゃない "遊び" が物語を奥深くしている。これこそ風刺の醍醐味と言えよう。辛気臭いテーマをそのまま台詞にして叫んでしまう無芸な感動モノとは一線を画している。
無関心と不作為、そして同調圧力は、自己正当化と相手への責任転嫁を混同した保身へと突き進む。私は悪くない。本当にそうだろうか、謙虚さを忘れると分断が介入する。あいつが悪い。徹底ガードすれば安全安心だと高を括ると、どこかで落とし穴が待っている。過ちを犯さぬ者は一人もいない。その時素直になれるか、本心から謝ることができるか、愚直な姿勢が周囲から認められ信頼を得る。今シーズンは登場人物が皆保身に走ってしまう重苦しい空気の中、ブラッドリーが自らの過ちに謝る姿がひとつのアンサーとなる。完璧は無い、起きてしまった失敗にどう向き合うか、非を認めない政治家や映画関係者は驕るなかれ。
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