「ちょっと思い出しただけ」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

池松壮亮と伊藤沙莉の二人が要所でみせる長回しショットに胸締め付けられる。夢を追いかける男とその背中に寄り添う女。焦がれる過去はどこか不体裁な現実によって壊れゆく。それぞれの心情がこちらに突き刺さる、そして叱咤したくなる。

 

予備知識無しで鑑賞する事を勧めます。ここからネタバレするのでご注意ください。

 

冒頭のエピソードから一年ごとに時を遡って照夫(池松壮亮)の誕生日の風景が描かれる。何故、何が、の言動が次第にかつての恋人・葉(伊藤沙莉)との生活へと繋がっていく。言葉が無くても通じ合えると過信する男と言葉がなくちゃ伝わらないと憤る女の立場が浮き彫りになる。観客も最初は照夫が分からない、とにかく照夫は喋らない、するとこちらは照夫を理解したい、一向に照夫と交わらない葉とリンクしていく。この映画的手法が面白い。

 

長回しショットはそんな二人が心通じ合い、諍い、途切れていく、その局面を真っ向から捉える名場面となる。寡黙が歓喜となり、沈黙が苛立ちに転化する。男は変わることができず、変わらない男に女は失望する。

 

ラストは二人がそれぞれ違う場所で見る日の出の光景。葉は新たな生活を育み、照夫は未練を断ち切れないでいる。欲言うならば、この(日の出の)光景は二人にとって記憶に刻まれた瞬間という挿話(照夫がプロポーズする意志を吐露するシーンはここでしょ)を伏線として用意すれば、さらなるカタルシスが生まれたであろう。

 

米映画「ブルーバレンタイン」も壊れゆく愛情を描いていたが、男性の思考ベクトルが全く異なる。今作の照夫は自身の殻に閉じこもる、虚無的であり、気力も失せている。前を向こうとしない男性にかつての恋人が近寄らないのは必至であろう。照夫の言動に潜在意識が現れる。忖度しろ、わきまえろ、女性を見下す男性優位の愚かさである。それは女性ダンサー泉美に対する素っ気なさにも通じる。

 

煮え切らない照夫に焦れる展開は、"こういうの現在(いま)の時代に見せられてもなぁ" というこちらの不寛容さを自覚してしまう。その若さで小さな世界に閉じこもっていいのか、"夢が叶わない=その負債を背負う" というロジックが古臭い。誰もいないステージ上の照夫のステップが "忍耐を美化" しているようで訝しい。けど池松壮亮と伊藤沙莉の演技が良いので結果オーライ。

 

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