「パドルトン」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

前回予告した通り、デュプラス・ブラザーズ・プロダクションズがNetflixとの契約で製作した作品第2弾。「ブルー・ジェイ」同様、監督はアレックス・レーマン、脚本はマーク・デュプラスとアレックス・レーマンの二人が書き上げている。Netflixにて配信中。

 

【あらすじ】マイケル(マーク・デュプラス)とアンディー(レイ・ロマノ)のシングル中年二人は同じアパートの階下と階上に住んでいる。末期ガンの診断を受けたマイケルは治療は諦めて安楽死を決行しようと処方薬を求めてアンディー同伴のもとドライブ旅行をする。

 

人生は決して華やかな成功物語で彩られるものではない。盛り上がるべく二人がプレイするゲーム "パドルトン" も感動を誘うものではない。そんな遊戯・人生もどこかで幕を閉じる。最速・最多を競うような記録には残らなくても誰かの記憶にはその姿が刻まれていく。世間に慕われない媚びない二人、マイケルとアンディーがぎこちない距離感を他者に滲ませながらドライブを敢行する。カンフー映画に登場する武闘家のようにはいかない不格好な死に様が精一杯の自己選択、死とは怖いものわからないもの、その選択肢を運命に預けない葛藤に挑む。

 

ラストのアパートの階段がアンディーの心情をうまく表現している。そこにたたずむ少年の所作が印象深い、"パドルトン" の相棒に誘われる彼もぎこちない距離感の持ち主である。おそらく父親のDVがトラウマになっているのだろうか、大人の男性に恐怖を抱いている表情が読み取れる。マイケルへの敬愛を込めて少年に "スピーチ" をほのめかすアンディー。彼の再起が一歩ずつ階段を昇っていく足取りとシンクロさせている。

 

脚本を担当するマーク・デュプラスは、生きることに不器用な人々に焦点を当てる。晴れ舞台とは無縁ながらも残された記憶とともに日々を過ごす人々。パドルトンのホームグラウンドとして廃業したドライブインシアターがその象徴となっている。世間は注目しないけれど、密かな楽しみを分かち合うマイケルとアンディー。二人のゲームは後世に残るような偉業ではないけど、虚飾された美談ではない "素朴" が見える世界によって二人の日常を芳醇にさせている。

 

「クリープ」「ブルー・ジェイ」そして「パドルトン」と連続して作品を取り上げたが、登場人物いずれも孤独がつきまとう。感情をうまく表現できないもどかしさや不甲斐なさが、小さな嘘や虚勢を自らの殻を形成する非社交的な生活を選択してしまう。「パドルトン」のアンディーもしかり、ぎこちない距離感、コミュニケーションの不得手、社交に内在する緊張感からストレスを派生する。「パドルトン」然り、そのストレスを主題として苦悩と諦観という過程をユーモアを織り込んで表現している。

 

みんなともだち!なんていう天真爛漫は生きていく問題=ストレスを避けているように感じる。これは多数派少数派の観点ではなく、表と裏…誰もが抱える二面性であろう。こうだという "レッテル貼り" は認識処理の簡略から湧き上がる。それでいいのか?人は結構複雑にできている。故にドラマが無数にある。自分が生きている毎日なんて全然ドラマじゃないよ、つまんないよ、と嘆くなかれ。その不満がストレスを経て苦悩へと繋がっている。マーク・デュプラスが取り上げる「孤独・苦悩」私たちの日常にもドラマが内包されている。それが生きている証。

 

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