ー第七夜 忍び寄る病魔ー
それは、ある日突然ではなかった。
どこか疲れやすい。
階段を上ると息が切れる。
グラスを持つ手に、わずかな違和感を覚える。
年齢のせいだろうと、誰もが一度は思うような、小さな変化。
銀座の夜は相変わらず続いていたし、私は相変わらずカウンターに座っていた。
だが、身体のどこかで、静かな音がしていたのかもしれない。
並木通りを歩く足取りが、少し重く感じる夜が増えた。
コリドー街のざわめきが、遠くに聞こえることもあった。
それでも私は、いつもの席に座り、いつものようにグラスを傾けた。
銀座の灯りは変わらない。
変わっていくのは、こちらのほうだ。
検査という言葉が現実味を帯び、
病院の白い廊下を歩くようになったとき、
ふと、並木通りの石畳を思い出した。
夜の街を歩くとき、人は少しだけ無防備になる。
酔いと高揚の中で、自分の輪郭が曖昧になる。
だが病は、その曖昧さを許さない。
数字が並び、画像が示され、
医師の言葉が静かに落ちる。
それでも不思議なことに、
私は銀座の夜を思い浮かべていた。
あの氷の音。
あの灯り。
あの沈黙。
四十二年通い続けた街は、
私の中に、ひとつの芯を作っていたのだと思う。
忍び寄るものがあっても、
灯りは消えない。
病は身体に入り込むが、
記憶には入り込めない。
夜が更ける。
並木通りの灯りは、今夜も揺れている。
私は少しだけ歩幅を小さくしながら、
それでもその灯りの下を歩いている。
《第八夜につづく》