生きるということを突き詰めていくと、なぜ自分がこの世に生まれ、今ここに存在するのかというような自分の存在意義について考えるようになってしまいます。
そのあたりは、哲学書に任せるとして、やはり、生きるというよりは「生かされている」という感覚が強く、生まれながらにして「運命」づけられたものがあるのではと思うようになっています。
今朝も5時過ぎに目が覚め、いつものようにパソコンに向かっていますが、これもまた「運命」なのかと思ったりしています。
死んでもおかしくない大病からの生還という「運命」の中で、これから何をすべきか迷いに迷っているところで、今日は一日、撮影会に出かける予定です。
しばらくは、これまでできなかったことや、やり残したことを「自然体」で少しづつ前に進めることができればと思う今日この頃です。
今日の一枚は、近くの公園で撮影した満開の紅梅です。
《つづく》
