三つ目の分かれ道は、やはり、競技ゴルフとの出会いです。ゴルフを始めたのは10歳の頃でしたが、大学ではゴルフ部等には所属せずというか東京に出てくるかわりにゴルフは帰省した時だけにするという父との約束があり、就職するまでは、それほどゴルフに対する思いはなく、むしろ、サッカーやスキー、テニスにはまっていました。特にスキーは就職前の1カ月は志賀高原に籠っていた記憶があります。
話をゴルフに戻すと、就職してからの会社がゴルフ場を経営していたことや会員価格くらいでラウンドができたこと、また、今とは違い、2ラウンドは平気でラウンドできた時代で、サッカーやスキー、テニスから少しずつゴルフに費やす時間が多くなっていきました。
以前も書きましたが、その頃住んでいた横浜のゴルフショップの店長さんが、私の試打風景を見ていて「今度、横浜市の大会に出てみないか」と誘われたのです。この一言が、その後の私のゴルフ、そして人生までも大きく変えていくことになります。「オフィシャルハンディは持ってないのですが」という私の不安をよそに「大丈夫、私の推薦で何とかしますから」ということがに押され、公式大会に出場しました。
後に聞いた話ですが、その時の私のドライバーのヘッドスピードは50m/sを軽く超えていて、計測器の精度は今とは比べ物になりませんが軽く300ヤードを超えていて、店長もびっくりしたとのことでした。
その後は、休みの日にテニスやサッカーで会社の対抗戦などを転戦していたのが、ゴルフクラブの会員権を購入し、ゴルフの大会や実業団の大会に出場するようになり、ゴルフ中心の生活に変わっていきました。
初めてJGAに14枚のスコアハンディキャップを申請していただいたHCPは6で、その後、HCP3までになり、すべてのアマチュアの試合のほか、プロが参加するオープン競技にも参加できるようになり、一段とゴルフにはまっていきました。その転機となったのが前出の横浜のゴルフショップ店長の一言でした。
ということで、本当の転機はまだまだ先なのですが、今日はこの辺として、今日の一枚は、昨日、近くの公園から見た昼下がりの汐留地区の様子の写真です。
