2019年9月2日月曜日、前日日曜日の朝入院して、手術の準備をしていました。8時ごろに麻酔の導入剤の注射をしてから記憶が遠のき、手術室で執刀医6人と麻酔医3人を紹介されたところまでは何となく記憶があるのですが、その後、気が付いたのは、夜の21時ごろに一度目が覚めて、再び意識がはっきりしたのはその1時間後の22時頃だったように記憶しています。
記憶がはっきり戻った時には、妻が目の前に立っていたように思いますが、記憶はおぼろげです。
翌日朝に目が覚めた時にも傍らには妻の姿がなかったのですが、看護師さんからは、「奥さんがずっと病室で待っていましたよ」と教えてもらいました。
意識がはっきりするにつれて、切開したお腹を切ったあたりから激痛があるので、痛み止めの点滴や薬が処方されるのですが、それでも「痛いものは痛い」もので、激痛は3日間続き、1週間後には傷口を止めているテープをはがし、その後、傷口を止めているホッチキスのような金物を取り外すという段取りで、4か所あった点滴がようやく3か所になりました。切り裂いた痛々しいお腹の縫合跡は、「そのうち消えてきます」という主治医の話の通りで、今では、ほとんど目立たなくなり、うっすらとは残っていますが、遠目にはほとんどわからないほどになっています。
最近では、10時間にも及ぶ大手術をを受けたことを忘れそうになります。妻でさえ「そういえば手術したよね」と忘れそうになっているようで、うっすらと残る傷跡を見ては、「大変な手術だったのだなあ」と思い返す今日この頃です。
もう一度その時の痛みのレベルについて考えてみると、腰痛で入院した時に、痛みの段階を10段階にしてどのあたりかということを医師から聞かれ、「10です」といった記憶があります。この椎間板ヘルニアで救急車を呼んだ時の痛みがmaxの10と思っていましたが、膵臓がんの開腹手術翌日の痛みは、経験したことのないその1.5倍ほどの痛みにに感じました。痛み止めの点滴を始めて、ようやく12くらいになり、薬を併用してようやく9くらいになったように覚えています。しかし、その痛みも忘却の彼方に去ろうとしています。
今朝の起床は5時45分、就寝が22時で、途中目覚めることもなく熟睡の快眠でした。窓の外は少しづつ明るくはなってきていて、今日も快晴の一日となりそうです。
