これからお話することは、究極の救いなのですが、まず、私のストーリーからお話します。
私は、二十歳代にとある会社に就職するのですが、そこの事務員さんを好きになりました。
結論からいうと、そのAという事務員さんも、固定した自我(エゴ)は存在しないのです。
私たちは、いろいろな人格が交ざっています。つまり無常なのです。
にも関わらず、Aさんという人格を自分の中で固定化し、勝手に好きになり失恋しました。
その時に一番苦しかったのは、”自分には生きる価値がない”、と本当に思い込んだのです。
それは、無意識における承認欲求です。人から認められないと価値がないと思ったのです。
その時の失恋が、トラウマとなり、何十年経っても苦しいのです。
ところが、それは記憶の中にしか存在しません。”いまここ”には失恋は存在しないのです。
仏教では、この記憶に束縛された状態を、「カルマ」と呼んでいます。執着とも言えます。
幸いなるかな、宇宙の真理「ダルマ」においては、あらゆる存在は”一つ”しかありません。
”一つ”しかない存在に分離はなく、Aさんという個人はいません。
つまり”非二元”には、釈迦如来も法華経の中で説いているのですが、失恋もありません。
過去に起きたと思っている出来事は、真理の立場では、”何も起きていなかった”のです。
とはいうものの、それは理屈であって、二元の夢の世界では、失恋は起きていたのです。
だからこそ、”ホーリースピリット”に記憶の訂正を依頼します。
”ホーリースピリット”とは、私たちの中にある”一つ”の意識です。それは絶対的愛です。
私たちは、自分も他人もいない”一つ”の意識であり、それは常に”いまここ”にあります。
”いまここ”の奥義とは、過去の出来事の記憶が、実は起きていなかったと悟ることです。