山神信仰というのは、いくつか種類がありますので、個別に紹介したいと思います。

3)死者の霊が集う山への信仰、

 古代の日本では、村などの共同体で亡くなった人の霊は、近くの山を彷徨った末に、浄化されてその山頂から昇天すると考えられていたようです。

 そして、この昇天した先祖の霊と自然物の精霊が融合したものが、後に、氏神(村の守護神)になると思われていました。

 その結果、山の神や田の神を、自分達の「祖霊」とみなす信仰に繋がっていきます。先祖を祀ることで、日々の暮らしが守られ、生活が出来ているという実感を得ていたのでしょう。
 アジア圏は特に、「先祖崇拝」の考え方が強く、渡来人などから、その考え方が日本中に広がっていったと思われます。

 仏教の伝来後は、仏教の考え方も加わり、神道と仏教が習合されていく中で、様々な説が出されます。

 死んだ人はどこに行くのか?
 神道の世界では、地下の国になります。

 古事記の世界観は、大きく分けて3つの世界があります。
 天上、地上、地下の国です。


 天上は、神々の世界である「高天原」、

 地上は「葦原の中つ国」、
 そして地下は「黄泉の国」もしくは「根の堅州国(ねのかたすくに)」です。

 最後の2つは、別々の国だと考える人もいますし、同一国の異名なのかも・・と、様々な説があります。

 黄泉の国は、イザナギがイザナミを追って訪れましたが、イザナミに追いかけられ、黄泉の国の入口にある黄泉比良坂(よもつひらさか)に、千引の岩を置いて、出入り口を塞いでしまいました。そのため、黄泉の国には、中つ国から行くことが出来ないと考えられています。

 ところが、古事記では、その後に、もう1つの地下世界として、「根の堅州国(ねのかたすくに)」が出てきます。ここは、天上から追放されたスサノオが居る地下世界になります(スサノオは当初、黄泉の国にいるイザナミに会いに行きたいと叫んでいたが、それが実現したかどうかは、古事記に書かれていません)。

 その後、オオナムヂ(大国主)が登場し、この「根の堅州国」に行く話になっていきます(オオナムジを殺そうとする兄達から、逃げる為に地下に逃げることになっています)。

 そこで、スサノオの娘スセリビメと運命的に出会いがあり、結婚をスサノオに許可してもらう為、いろいろなことにチャレンジすることになります。気弱なオオナムジが、このチャレンジを成し遂げることで、自信を取り戻し、成長します。そして二人で、スサノオに見つからないように、地上に戻ります。このときに、スサノオの持っている宝(3種の神器)を持っていくのですが(剣、弓矢、琴)、琴だけ持ち帰る事が出来なかったのです。

 これは、後の天孫がアマテラスから授かった3種の神器とは違って、オオナムジは3種の神器がそろえることが出来なかったので、オオナムジが日本を統治出来なかったという説明になっています。

 スサノオは、途中まで追いかけますが、黄泉比良坂をオオナムジとスセリビメが超えてしまったので、追いかけるのを諦め、「その弓矢と剣で、兄弟を殺してしまえ!」とアドバイスをします。その結果、オオナムジは国造りを始めることが出来るようになります。

 しかし、よく考えてみると、黄泉比良坂はイザナギが岩で塞いでいたので、通れないのでは?これは間違い?とも読めるのです。とはいえ、この記述が間違いでないのであれば、たぶん黄泉比良坂はとても長い坂で、その途中に、黄泉の国の入口や、この根の堅州国の入口、もしかしたら他世界への入口などもあり、その中の1つの入口を塞いだだけとも考えられます。

 また、この3つの世界とは違いますが、常世(とこよ)という他界もあり、海中、天上、地下、海の彼方などにあると信じられ、祖先の霊魂や神々が住むという信仰もあります。
 古代人は、この「常世」を海の彼方にある、不老長寿の国(理想郷)と考えていた記述もありますし、一方で、死者の国(黄泉の国、根の堅州国)の1つとしても考えていたようです。

 この黄泉の国、常世があると考えられていたのが、「熊野」です。
 熊野は、神仏習合が盛んで、仏教と神道の考えが混在する為、なかなか分かりづらいところがあります。でも、それが逆に、熊野に惹きつけられる要因になっているのかもしれません。

 この神仏習合の例として、「補陀落渡海(ふだらくとかい)」という行があります。
 仏教では、「浄土信仰」という「仏・菩薩の支配する浄土世界にあこがれる信仰」があります。この浄土とは、神道でいうところの「常世」でしょうか。

 平安末期というのは、末法思想もあり、人々がこの浄土に行きたい!と願い、この熊野(那智などの南岸地域)から、船に乗って浄土(常世)を目指す航海が多く行われました。
 行って戻ってくる航海ではなく、行ったっきりの片道通行の航海です。最初は、修行の1つとして、生きている行者が、船に乗って、そのまま亡くなるという行だったようですが、途中から死んだ人を、船に乗せて、浄土に送る(一般的な水葬)というやり方に変わったようです。

 熊野以外にも、恐山、月山など、死者の霊が死後に行くとされている山が、各地に存在しています。それらの山々が、現在でも信仰の対象となっています。

 次回も、この山神信仰の対象となっている神社、祭神名を紹介していきます。