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メンズビギ マルイシティ横浜店 GM(ゼネラルマネージャー)の極私的ブログ

メンズビギの商品紹介を中心に、
ファッションやカルチャー、ライフスタイル全般まで、
役立つものからどうでもいい話まで、
GM(ゼネラルマネージャー)独自の視点で綴るブログ。

「ボクはゲイだ」

あ、これ…
私が言ったのではない…。

これは1972年1月に発売された
英国を代表する音楽誌
メロディ・メイカーのインタビューで、
デヴィッド・ボウイが語ったコメントだ。

当時の時代背景では、
同性愛者を名乗ることは相当なタブーで、
それをロックシンガーが公表したことは
大きなセンセーショナルだった。

下積み生活が長かったボウイにとって、
これはプロモーションを兼ねた
一つの賭けであったに違いない。

これが功を奏したのか、
この後に発売された
アルバム「ジギー・スターダスト」で
遂に彼は念願のスターダムにのし上がる。

それはそのツアーステージ衣装を手掛けた
当時無名の日本人ファッションデザイナー
山本寛斎とともに…。


2016年1月10日に69歳で亡くなった
デヴィッド・ボウイ…
彼のクリエイティブなスタイルは、
音楽界はもちろん、
ファッション界にも強烈な記憶を残した。


時代ごとに目まぐるしく変遷しながら
世界中の人々に影響を与え続けた
彼の革新的スタイルの中で
とりわけ印象的だったのは、
「ジギー・スターダスト」時代の
奇抜で大胆なファッションであることに
誰も疑問の余地はないだろう。


もともと全く面識のなかった
ボウイと寛斎…

この二人を引き合わせたのは、
日本人スタイリストの草分け
高橋靖子氏と写真家の鋤田正義氏だった。

1972年6月…
ボウイの友人でもあるマーク・ボラン率いる
Tレックスのフォトセッションのため、
ロンドンを訪れていた高橋と鋤田が
ある時街を歩いていると、
路上に貼られた1枚のポスターに
二人の目は釘付けになる。
それはそれまで聞いたことのない
デヴィッド・ボウイというアーティストの
コンサートを告知するポスターだった。

ギターを抱え、
片足を大きく上げてポーズを取る
その写真から伝わる一種異様な雰囲気に、
二人は衝撃を受けたのだ。


彼らはすぐにポスターに記載されていた
レコード会社RCAのオフィスに電話をかけ、
ボウイの写真を撮らせてくれないかと
果敢に売り込みをかけた結果、
鋤田の写真の才能が認められ
遂にフォトセッションが実現する。
この時の鋤田氏の写真は、
ボウイ自身がとても気に入っている。

翌月に開かれたレインボウ・シアター公演は
この年最も力の入ったコンサートで、
この公演で初めて、
ボウイは山本寛斎の衣装を身につけている。
それは有名な「因幡の素兎」レオタードだ。

(*画像はお借りしました)

これは高橋靖子氏がボウイに贈ったもので、
その前年に彼女がスタイリストを務めた
山本寛斎初のロンドンでのショーのために
持ち込んだ衣装である。

これを機にボウイは、
寛斎の衣装を盛んに着るようになり、
翌年の本格的な米国進出のための
大々的な全米ツアーにおいても、
これらの衣装が欠かせなくなるのだ。


では…
なぜ寛斎の衣装だったのか?

山本寛斎は自らの服について
こう語っている。

『私の服作りは、日光東照宮の美学に非常に似ています。華麗で力強くてカラフルな“婆娑羅”(ばさら)という美意識。それは世界中の人たちが抱く禅的な日本文化のイメージとは対極にあるものです。でも、日本にだってこういう華美な、エネルギッシュな文化があるんだということを広く世界に伝えたかった』

『ファッションの本場で外国人に勝たなくちゃいけないわけですから、単純な日本らしさではなく、歌舞伎のケレン味といった美学そのものを持ち込み、日本人にしかできない表現で勝負しようと思っていた』


もともと日本文化に
強い興味を抱いていたボウイは、
自分の西洋的な感性に
東洋的な感性をミックスさせたいと
常々願っていた。

端正なビジュアルと妖艶な声に、
両性具有的な雰囲気を持つボウイ…

彼の人気を決定づけた
代表作「ジギー・スターダスト」は、
5年後に迫る資源枯渇を原因とする
人類滅亡の危機を救うために、
異星より舞い降りた
バイセクシャルのロックスター“ジギー”
の物語からなるコンセプトアルバムだ。

架空のロックスター“ジギー”に扮した
ボウイにとって寛斎の衣装は、
まさに「ジギー・スターダスト」の
世界観にピッタリだったのだ。


デヴィッド・ボウイのキャリアの中で、
スーパースターに上り詰めるために
最も重要だった1973年の全米ツアー…

ボウイからのたっての希望で
ニューヨークに招集された、
公式スタイリストの高橋靖子と
公式カメラマンの鋤田正義の二人…。

コンサート当日が近づくに連れ、
周辺の空気が異常な熱を帯びていくことを
感じ取ったスタイリストの高橋は、
このツアーがボウイにとってはもちろん、
山本寛斎にとっても運命を変える出来事に
なるのではないかと感じ始め、
日本にいる寛斎に電話をかけ続けた。

『日本にいる場合ではない、
  絶対にニューヨークに来て
  このコンサートに立ち会うべき』だと。

最初は戸惑っていた寛斎だったが、
最終的にニューヨークへ渡ることを
コンサート前日に決断した。

開演時間ギリギリに滑り込んだ寛斎は、
この時のステージをこう語っている。

『私の服を着た彼のステージを観たのは、ニューヨーク公演が最初だったんです。ミラーボールが星のような模様を会場に作る中、天井の方から彼が降りてきてステージに立った時、舞台袖の両側から黒子が出てきて、服を前後に引き抜きます。すると中から違う服が現れる。それで彼が歌い始めると、ニューヨークのお客さんは総立ちですよ!』

ちなみにこれは、
欧米人のほとんどが観たことのない
歌舞伎の引き抜きの技法である。
黒子役の一人は高橋靖子氏だ。

そしてこの時こそ、
クリエイティブな世界において
音楽とファッションが融合するという
新しい時代の到来を告げる
歴史的瞬間だったのだ。


それ以降…
ボウイと寛斎の親交は急速に深まっていく。

(*画像はお借りしました)

『ちょうどボウイも「世界に出るぞ」と意気込んでいた時期で、気持ちやタイミングが重なったんですね。まあ、お互いに生意気盛りですよ。当時は私もボウイも未来がどうなるか、まったく分からない状況だから、アグレッシブさが足し算された。必然だったのか、偶然なのか…。ともあれ、才能との出会いはお金に代えられないものなんです』


共鳴し合いながら
一時代を築いた稀代のアーティスト、
デヴィッド・ボウイと山本寛斎の二人…。
二人に共通していたのは、
音楽やファッションを通して
さらにそのもっと奥にある文化を
自らを触媒としてエネルギッシュに
表現し続けたことではないだろうか。

山本寛斎氏は7月21日に
急性骨髄性白血病で逝去された。
享年76歳。


さて、ここからは余談だ。

その後、日本贔屓のボウイは
ツアーやプロモーションだけでなく、
プライベートで何度も来日する。
その度に旧交を温める高橋と鋤田…。

「シリアス・ムーンライト・ツアー」
の頃だったろうか…。
高橋靖子氏がボウイに用意した衣装は、
メンズビギのブランド
「バルビッシュ」だったそうだ。


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   日本の文化をこよなく愛した
   ボウイと寛斎…

                    「David Bowie」
       “Moss Garden”(苔庭)

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メンズビギ横浜店  GMより


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