我思う、故に我あり。 | 走りの殿堂の不思議な世界

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アウトローなオヤジのひとり言

あるとき、たまたまクイズ番組をテレビで見ていたら・・
「この人は誰でしょう?」という出題で、ある人物の肖像画と
「我思う、故に我あり」という文字が書かれていた。


オレは即座に「デカルト」と、わかった。
クイズの回答者でも、見事に正解した人もいた。

「我思う、故に我あり」・・・この言葉は、あまりにも有名であるが・・
大学の入試問題などに、よく出るということで・・その言葉とデカルトの名前は
覚えていたのだが、
その意味を、正確には知らなかった!あまり気にもしていなかったというべきだろう?
だが、そのクイズ番組が、きっかけで、この言葉が、なんかひっかかった・・


ちょいと調べてみると・・デカルトは、17世紀の哲学者。科学者でもある。
その時代はヨーロッパの社会が大きく変わりつつある頃で・・
中世のキリスト教的、哲学から近代哲学に変化してゆく過程でデカルトの
存在は大きかった。

デカルトの発想は・・まずは、すべてのものを疑ってみる。
神も、幽霊も、UFOも、自分の目の前にある光景さえ、ひょっとしたら夢か幻想かも知れない?
そうしてゆくと、この世の、すべてが、その存在を証明できない・・・
しかし・・そうやって、何もかも疑っている自分が存在している!
それだけは確かなことだ!
それが・・「我、思う、故に我あり」の意味らしい。。

後の哲学者で他の解釈をする人もいるらしいが・・一般的には、そのようなことと
考えられている。
デカルトはフランス語で言ったのだろうが・・英語では「I Think,therefor,I am」

しかし・・であるが、すべてを疑い、そんなことを考えている自分の存在だけは確かなことだ!
なんていう自己中心的な発想が、歴史に残る名言になるとは、とうてい思えない。。
本当の意味は、ちょっと違うのではないか?と感じた。。

デカルトと直接、関係ないが「人間理論」というものがあるらしく「強い人間理論」と「弱い人間理論」のふたつがある。
例えば・・「宇宙って、どんなふうになってるんだろうね?」
そして、ビッグバンに始まり、銀河系、太陽系、地球の誕生、生命の誕生、そして進化を経て
現在の我々がある・・「じゃあ、今、我々が、ここにいるのは、スゴイ偶然というか奇跡的なことなんだね?」というのは、弱い人間理論!

宇宙が、こんなふうじゃなかったら、我々は存在しないし、こんな会話をしていない!
・・・というのが強い人間理論!

第二次大戦中、アウシュビッツの収容所に入れられていたユダヤ人の心理学者が
後に本に書いていたが、収容所の中では頭が変になり自殺するものも多かったらしい。

人間は自分の人生や将来に期待をしている。
その期待が裏切られたとき、自殺を選ぶのだろうが・・
本当は自分の人生が、将来の自分が・・今の自分に期待をしているのだ!
・・・と書いている。。。

これは感覚的に、わかる人には、わかるが、わかりずらいものかも知れない?

この世における、あらゆるものは客観的、相対的にみて、どのようにでも解釈できるし

過去や未来が、どうであろうと現在の自分自身の存在を否定することはできない!

ありのままの自分の存在を認めることを出発点と考えてみるべきなのだろうか。。