老いればさまざまな面で、肉体的および機能的な劣化が進みます。
目が見えにくくなり、耳が遠くなり、もの忘れがひどくなり、人の名前が出てこなくなり、
指示代名詞ばかり口にするようになり、動きがノロくなって、鈍くさくなり、力がなくなり、
ヨタヨタするようになります。
高齢者の苦しみを聞いてみた
「腰が痛いんです。三日ほど前から痛くてたまりません」
「なんや息をするのがしんどくて」
「足がむくんで抜けるようにだるいんです」
「目ヤニが出て、耳からも耳だれが出て」
「便が硬くて、力むと脳の血管が破れそうで」
「オシッコのにおいがきつくて」
「夜になかなか寝つけんで、寝たと思うたらお便所に行きとうなって」
なにしろ簡単には治らないことばかりなのです。
しかし、これらの訴えは年を取ればある程度予測可能なものばかりです。
頭でわかっていても、自分のこととしては受け入れがたいのでしょう。
人はだれでも、年を取れば足が弱るし、手がしびれて、息切れがして、身体が動きにくくなり、
眠れなくなったり、尿が出にくくなるのに夜はトイレが近くなったり、お腹が張るのにガスは出ず、
出なくていい痰や目ヤニやよだれが出て、膝の痛みに腰の痛み、嚥下機能、消化機能、代謝機能も落ちたりして、
身体が弱るものです。
そうなるのが自然なのに、それを受け入れるのは簡単ではありません。
老いるということは、失うことだとも言われます。
体力を失い、能力を失い、美貌を失い、余裕を失い、仕事を失い、出番を失い、地位と役割を失い、
居場所を失い、楽しみを失い、生きている意味を失う。
そんな過酷な老いを受け入れ、落ち着いた気持ちですごすためには、相当な心の準備が必要。
若いときから優秀だった人は、人生で得たものが多い分、失うつらさにも耐えなければなりません。
仕事で高い地位についていた人は、リタイアしてふつうの人になることに抵抗があるでしょうし、
頭がいいと言われていた人は、記憶力や計算力が衰え、言いまちがい、
勘ちがいなどを指摘されると腹が立ち、逆にショックを受けたり、落ち込んだりします。
もともとさほど優秀でない人は、リタイアしても同じですし、記憶力の衰えなどもたいして気にはなりません。
健康に気をつけて、どこも悪いところがなかった人も、老化現象による不具合には耐えるのがたいへんです。
若いときから具合の悪い人のほうが、慣れている分、年を取ればこんなものだと受け入れやすいでしょう(笑)
あきらめたら終わりだ敗北主義だと頑張る
老いの不如意も衰えも、受け入れて付き合っていくしかない。
そう思えたら少しは楽になるのにと思います。
もちろん、努力をすればリスクは下がります。