原文
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
訳
流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、
それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。
(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、
一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、
長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。
この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、
またこの(流れと泡の)ようである。
私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、
どこに去っていくかを。またわからない、
(生きている間の)仮住まいを、誰のために心を悩まして(建て)、
何のために目を嬉しく思わせようとするのか。
その(家の)主と家とが、無常を争う(かのようにはかなく消えていく)様子は、
言うならば朝顔と(その葉についている)露(との関係)と違いない。
あるときは露が落ちて花が残ることがある。
残るとは言っても朝日を受けて枯れてしまう。
あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。
消えないとは言っても夕方を待つことはない。(その前に消えてなくなってしまう。)
鴨長明は『方丈記』の中で、「人生とは何か」「この人生を生きる意味とは何か」を
自分自身に問いかけるとともに、『方丈記』を手にとった私たちに対しても、
同じ問いを投げかけています。
死というものがそれほど切実ではない現代の私たちは、
それゆえに「いかに生きるか」ということを考える機会も少なくなっています。
私たち人間は、時代の流れや大きな自然の力に翻弄される、
ちっぽけな生き物に過ぎません。
その中で、どのようにこの世に生きた証を残していけばよいのか、
一度じっくりと、自分の人生を見つめ直してみようと思います。