鴨長明 方丈記 「ゆく河の流れ」 | 元気と感動の種を探しに行こうよ~!

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富士山

原文

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

 

流れ星

流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、

それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。

(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、

一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、

長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。

この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、

またこの(流れと泡の)ようである。 

 

あじさい

 

私にはわからない、生まれ死んでゆく人は、どこからやってきて、

どこに去っていくかを。またわからない、

(生きている間の)仮住まいを、誰のために心を悩まして(建て)、

何のために目を嬉しく思わせようとするのか。

その(家の)主と家とが、無常を争う(かのようにはかなく消えていく)様子は、

言うならば朝顔と(その葉についている)露(との関係)と違いない。

あるときは露が落ちて花が残ることがある。

残るとは言っても朝日を受けて枯れてしまう。

あるときは花がしぼんでも露が消えずに残っていることもある。

消えないとは言っても夕方を待つことはない。(その前に消えてなくなってしまう。)

 

 

虹

鴨長明は『方丈記』の中で、「人生とは何か」「この人生を生きる意味とは何か」を

自分自身に問いかけるとともに、『方丈記』を手にとった私たちに対しても、

同じ問いを投げかけています。

 

死というものがそれほど切実ではない現代の私たちは、

それゆえに「いかに生きるか」ということを考える機会も少なくなっています。

 

私たち人間は、時代の流れや大きな自然の力に翻弄される、

ちっぽけな生き物に過ぎません。

 

 

 

その中で、どのようにこの世に生きた証を残していけばよいのか、

一度じっくりと、自分の人生を見つめ直してみようと思います。

 

もやもや

 

 

脳みそ

 

 

 

晴れ