祖母の手仕事
以前のブログ『押絵熨斗(おしえのし)』で母方の祖母の事を書いたことがあります。
お裁縫や刺繡が上手な人で、母の踊りの衣装のために作ったものが残っています。
母が10歳だった昭和の始めころ、初めて『吉野山』の忠信(ただのぶ)を踊った時のものです。
『吉野山』は歌舞伎の通し狂言『義経千本桜』の中の舞踊です。
源平合戦の後、頼朝に追われていた義経一行は吉野に逃れ、
義経の愛妾静御前は義経に仕えている佐藤忠信と共に、
義経の後を追って満開の桜の吉野山をゆきます。
忠信の衣装は黒字に金の『源氏車』の刺繡が様々デザインされていて、
源氏の武士の力強さと華やかさがあります。
昭和15年21歳の母
踊りの中盤、忠信が源平合戦の「戦さ物語」をする場面で「肌脱ぎ」になったときの
赤の襦袢にも『源氏車』の意匠が施されています。
50代
祖母の刺繍は襦袢の衿を囲むようにデザインされているものや着物の裾の部分のものなど七点です。
糸巻きに巻いた金糸も残っています。
母は10歳から56歳までに5回以上『吉野山』の忠信を踊っています。
体力も気力も技量も必要な演目で、女性が踊るのは稀ですが、大好きな演目だったようです。
20代
30代
母が二十歳の時に祖母は亡くなっていますので、この刺繍は母にとって大切なものだったと思います。私にとっても祖母と母を感じることができる大切なものです。
丁寧に作られています
縫い目がそろっていて裏も美しい
この写真は大正10年頃のもので、2歳の母と祖母、母の兄たちです。
当時の写真には珍しく叔父は笑っていますし、祖母も笑いをこらえているようです。
立ち位置もバラバラでまとまりがありません。
小さな母が面白いことばかりするので、おすましの写真が撮れなかったそうです。
祖母が残したものの中に小さな掛布団の側(がわ)があります。
縮小したものを作って母に仕立て方を教えたのでしょうか。














