万葉集のつまみ食い189 | 日本の古代探索

日本の古代探索

古事記・日本書紀・万葉集の文や詩を通して我々の先祖の生きざまを探ってゆきたいと思います。

1946・木高者 曾木不殖 霍公鳥 来鳴令響而 戀令益

 

   こだかきは かつてきうゑず ほととぎす きなきとよめて こひまさらしむ

 

 訳:高い木は 決して植えませんよ(低い木を植えますよ) 霍公鳥が(低く近くで)来て鳴 

   いて響き渡らせれば (お互い)恋慕う気持ちを高めることが出来るから

 

**「こだかき:小高き:高い(連体形)」は後の「き・木」を修飾。「曾」は「かつて」で 

  「決して」という意味の全否定です。

 

 *高い木を植えたら、霍公鳥も上の方で鳴いていて、よく聞こえないし、

  近くで霍公鳥を(二人で)楽しみたいのです。

 

1951・慨哉 四去霍公鳥 今社者 音之干蟹 来喧響目

 

   うれたきや しぬほととぎす いまこそは なくねしひがに きなきとよまめ

 

 訳:いまいましいなあ (私は)死んでしまうよ 霍公鳥よ 今こそは 

   鳴く声が無粋に 来鳴いてうるさく響いて欲しいよ

 

**「うれたきや しぬ(終止形)」は「いまいましいことだなあ (私は)死んでしまう」。

  「ひが」は「やぼ・無粋」。「とよまめ」は「とよま:(とよむ:響き渡る)の未然形+

  め:(む:推量の助動詞の已然形、前の(こそ)を受けて)」で「響いて欲しい」。

 *従来は「音之干蟹」を「声のかるがに」と読んで「声がかすれるように」としています。

  また「四去」を「しこ:醜:醜悪な物を罵る詞」としています。

 

 *悔しいなあ 俺ももう長くはないし 霍公鳥よ、大声で鳴いて、

  滅入ったこの俺の気持ちを紛らせてくれないか。

 

1952・今夜乃 於保束無荷 霍公鳥 喧奈流聲之 音乃遙左

 

   このよるの おぼつかなしに ほととぎす なくなるこえし おとのはるけさ

 

 訳:今夜は 心細いのに 霍公鳥の 鳴いている声も (その)音が遠くかすかです

 

**「おぼつかなし(き)に」は「心細いのに」。「なる」は補助動詞で「その状態になる」。

  「はるけさ」は「はるけ:(はるけし:形ク活:遠い・はるか・久しい、の語幹)+さ:接

  尾語で名詞を作る」。

  「おぼつかなしに」を「(月が)おぼろげな(夜)で」と解釈すれば最後の句の「はるけ

  さ」は「久しぶりのこと・懐かしいこと」と考えられます。

 

 *今夜は唯でさえ心細いのに 霍公鳥まで遠くの方で鳴いていて 

  益々心細くなるじゃない!せめて近くに来て大声で慰めて!

 

1954・霍公鳥 来居裳鳴香 吾屋前乃 花橘乃 地二落六見牟

 

   ほととぎす きゐるもなくか わがやとの はなたちばなの ちにちらむみむ

 

 訳:霍公鳥が やって来て鳴いているなあ 私に家の庭先の 花橘が 

   地面に散りそうなのを見て(嘆いて)いるのでしょう

 

**「も」:「強意の間投助」。「か」:詠嘆で「~だなあ」。

  「ちらむみむ」は「ちら:(散る)の未然形+む:推量の助動詞+み:(見る:判断する・

  理解する)の未然形+む:推量の助動詞」。

 

 *霍公鳥よ お前も花橘が散ってしまうのは 寂しいのだね