3月16日(火)
通常はバドミントンをしている曜日。しかし当然お休み。
知り合いの動向が気になり海辺に。建物もすべて流された。
3月17日(水)
やっと電気がきた。映像を見るたび涙が出る。
携帯電話も瞬間的につながり、消息もつかめるようになってきた。さらにネットで被災地区の上空からの映像も確認できるようになり、知り合いの地区を確認できた。
3月18日(木)
地震当日から連絡が取れないためやむなくスーパーカブにガソリンを入れ、宮城と福島県境の山元町に向かう。
報道でも山元町付近は津波にのまれ坂元駅も消滅したとのこと。親戚の一人も隣接の山下駅のすぐそばである。気温は氷点下。スキー服に重ね着をし完全武装でバイクを運転する。途中路面には亀裂があり、よけながら山元町まで。行程約45キロ、約2時間かけて付近に到着。祖父の墓に立ち寄るが、幸い倒壊していなかった。
母の実家に到着するとみなさん集まっていた。国道6号より西の家屋は無事だったとのことだが1名流された。