先週の金曜日、東北関東大地震が発生してから一週間が経過しましたが宮城県の死者は毎日増え続けています。
 
この間の自分の行動を記録しておきたいと思います。
3月11日(金)
 叔母の介護中、地震が発生。一人住まいのため自宅に連れ帰り、余震の中、自宅付近で待機。落ち着いたところで叔母が戻ると言い出す。説得したが無理。やむなく3時間かけて叔母宅に。再度電気、ガス、水道の元栓をしめる。一人では生活できないことを説得。迷いながら近くの親戚のところに。再度自宅に戻るが市内は大渋滞。夜遅くにやっと自宅に。歩いた方が早かった。
3月12日(土)
 自宅の散乱したものを片づける。自宅は仙台市西部のため比較的地盤は安定。屋根瓦が落ちている家や倒れている塀は多数ある。
電気、ガスが来ないためポータブルのガスボンベが唯一の火力。インスタントラーメンを作る。
また情報がないので車からはずしたバッテリーにナビを接続しテレビをつける。映像を見るたびため息が出る。親戚や知り合いの消息が気になってなかなか眠られない。
停電のためすべての店と自動販売機が利用できない。