高校生物 教材プリント -真核生物の誕生① 細胞内共生 ミトコンドリアの獲得- | はし3の独り言

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腕時計に自転車、高校理科の話題が多いブログです。日常で印象に残った出来事も取り上げます。時間があって、気が向いた時しか更新できていませんが、ご愛顧よろしくお願いします。

 

 最初に聞いたときにはびっくりしました。わたしたち真核生物は原核生物の共生体で、ミトコンドリアはもともと独立した原核生物なのだそうです。この考え方は細胞内共生説といいます。

 

 原核生物といったら、ふろ場や排水溝によくわく、ぬめりがそうです。通常の感覚で、細菌と呼んでいるものたちで、細胞は私たちのものよりはるかに小さく、作りが単純で、核などの細胞小器官がありません。

 

 こんな生き物の類が、私の細胞の中で、うにょうにょ動き回っているかと思うとぞっとします。ウィキペディアによると、実に体重の10%はミトコンドリアの重さなのだそうな。

 

 細胞内共生は、教科書では、19億年前に起きたと書いてありました。この数字は調べる度に早くなってきていて、最近では25億年前ともいわれていています。

 

 我々一般人には雲をつかむようなお話ですので、この際、高校生物のレベルで昔話風にまとめてみましょう。

 

 では。

 

 昔、むかーし、40億年前(昔過ぎる…)に生命が誕生して以来、地球には色々なタイプの原核生物が現れていました。

 

 生きるために必要なエネルギー(ATP)を自分で作ること(独立栄養)ができたものと、周りにある有機物を分解して得る(従属栄養)ものがいました。

 

 独立栄養生物のなかには、光エネルギーで水を分解してATPをつくる(光リン酸化)タイプの生物(光合成細菌)がいました。この生物は、H2O(水)を分解した結果、O2(酸素分子、有害)を出してしまうために、環境に有害な酸素(O2)が増えてしまいました。

 

 生物の体を作る有機物は、酸素(O2)があると、H2O(水)とCO2(二酸化炭素)に分解されてしまうので、それはそれは大変なことになってしまうのです。

  

  しかし、やがて生物の中には、あえて危険な酸素を利用して有機物を分解し、ATPを作る出すもの(好気性細菌)も現れました。こうして当時の地球の生物は、酸素なんか大嫌いな生物(嫌気性細菌)と、酸素をうまく利用する生物(好気性細菌)に分かれていたのです。

 

 

 嫌気性細菌のなかに、古細菌(アーキア)がいました。その古細菌の中には、細胞を大型化し、細胞の中に膜構造をつくることができるものもいました。大型化しすぎたため細胞表面から栄養を吸収するだけでは不十分で、食べ物があると自分の細胞膜で包んで中に取り込む(飲食作用、エンドサイトーシス)ようになっていたのです。

 

 

 

 大型化して複雑になるものもいるなら、小型化して単純化するものもいるわけでして、酸素を利用できる好気性細菌の中にも、もはや、一人では生きられないくらい寄生性になったもの(リケッチア)もいました。

 

 

 やがて、大型化した古細菌(アーキア)の一種と寄生性となった好気性細菌が出会い、好気性細菌は中に入り込みます。

  

 

 好気性と嫌気性だなんて、最悪の相性かと思われる組み合わせなのですが、古細菌が自分の細胞膜で獲物を取り込む飲食作用が可能だったことが、奇跡的なカップリングを成功させます。

 

 

 

 古細菌の取柄は、自らの細胞膜を巧みに利用し、細胞内に多様な膜構造を作ることができる点にあります。この性質がなかったら、何も起きず、地球上には細菌しか現れていないでしょう。

 

 好気性細菌は、やがて、ミトコンドリアになるわけです。

 

 ミトコンドリアは二重膜構造の細胞小器官であることが重要視されます。外側の膜は古細菌の細胞膜に由来し、内側の膜は寄生した好気性細菌本体の細胞膜に由来するので別物です。また、好気性細菌はミトコンドリアとなってからも、自らのDNAを持っており、私たちの細胞本体とは独立性を保って行動しているようです。

 

 

 

 教科書でお馴染みのミトコンドリアの電子顕微鏡写真や模式図といえば、なんだか、運動靴の裏の模様みたいですけど、ミトコンドリアの名前の由来はギリシャ語の糸にあります。直訳すると糸粒体です。本当のミトコンドリアは、私たちの細胞の中で、ヒモみたいな恰好で自在に動き、分裂と融合を繰り返す活発な存在なのだそうです。

 

 ちなみに、好気性細菌の部分が細胞質基質の中に出てしまうと、その細胞は死んでしまいます(アポトーシス)。

 

 我々真核生物の細胞は、ミトコンドリアからATPを大量に供給してもらう代わりに、栄養と生活場所を提供する関係になり、生物学的には相利共生関係にあたります。

 

 しかし、共生という言葉自体が主観と切り離すことができない言葉でありまして、見方を変えれば、真核生物なんて好気性細菌に乗っ取られた古細菌の成れの果てと言えなくもないのです。