25話はカノンとブジンサマのしゃべり場状態。なるべくニュアンスを残したいので書く方も大変です(笑)。
第25話『彼遠』
脚本:大石真司 監督:坂本太郎
カノンは岩となり眠っているブジンサマの前で、かつて人間達がブジンサマにした仕打ちを人間の一人として謝罪する。今から歌うのは自分にとって嘘のない「いのりうた」、自分の気持ちが伝わるといいなと思っています、と断ってから歌い始めるカノン。
歌い始めると岩が動き出した。「娘、なぜ歌う?歌姫だからか? 」とブジンサマ。私の思いを伝えたくて、とカノン。本当のブジンサマは岩の姿じゃない方がいいと思う。ブジンサマは誰かのために生きることが好きなんじゃないか、人助けをする方がブジンサマらしくて良いんじゃないか、とカノン。「無駄なことだ、お前達に言われるまでもなく我はそう思い続けてきたからだ」とブジンサマ。同意するけど行動には移さない、と?じゃあなぜ岩のままでいるんだづ、と問うタイヘイに、「我の思いをお前達が知る必要はない!」と引きこもりっぽいブジンサマ(笑)。
オタキさん達の集まっているジュウゾウの家(?)。ゴンベエのことを心配するイケチヨとオタキさんをよそに、タメキチとショウタは「戦が終わったら宴だ」と盛り上がる。
カノンは懸命に説得を続ける。「1人で苦しまないで悩みを教えて下さい。オンバケさん達と人間は切っても切れない関係、支えあって生きていかなきゃいけない関係にあるんじゃないかと思ってるから、だからブジンサマの悩みは私の悩みだと思ってます。 」屁理屈を言うな、と冷たく返すブジンサマだがタイヘイに「乙女にはもっと優しく接してくれって!」と怒鳴られて(笑)少し態度を改め、カノンに「お前にとって歌とは何だ?」と訊ねる。おばあちゃんが歌う「いのりうた」を聴くと優しい気持ちになれた。歌で自分の気持ちを伝えて幸せになってもらいたい、歌は気持ちを届けてくれる素敵な手紙みたいなもの、とカノン。歌はいいものだ、我もかつて我を生み出してくれた人々に感謝と尊敬を込めて「いのりうた」を歌っていた、とブジンサマ。それを聞き喜ぶタイヘイだが、我に人のためにうたう歌はもうない、とブジンサマ。「いのりうた」も人が信じあう喜びを歌っていたから、自分が人が信じられなくなるとそれを歌うことも辛くなって・・・、と自分の体験を話すカノン。あきらめて帰ろうとする2人だが、タマッコは2人を引き止める。「私達は本当に何も力になれないんでしょうか?」「余計な世話を焼くな。我は人間を信じない故、歌を取り戻すことも叶わないのだ」、とブジンサマ。
大イパダダと戦うゴンベエ。サワモリはハシタカに、ハッコクの元へ飛び、大イパダダの動きを鈍らせる術法の巻物を持ってくるよう頼む。変身体になり飛んでいくハシタカと、念のためハッコクの元に向かうトモスケ。
なんでカノンちゃん信じてくれようとしねえんだづ!とタイヘイ。カノンに、お前は人間を愛しているようだが人間は裏切るものだ、とブジンサマ。信じても裏切られることはある、でも私はあきらめたくない。裏切られたら辛いけど、それでも人を信じて一緒に歌ったりするのが好きだから、とカノン。お前達の思いは分かったが我は歌を失った、それ故イパダダに対する術もない、とブジンサマ。「我は我の安らかな気持ちをイパダダに伝え諭してきたのだ、歌えない我はもうお役目を果たせんのだ」1人でいたいからここを去れ、というブジンサマに、ブジンサマを信じてるから、ここにいさせて下さい!と決意の表情のカノン。
巫崎家。カノンはいい顔になってきた、と話しているおじさんと父ばろく。カノンもばろくのように面倒見のいい人間になる、おせっかいは必ず人の役に立つ、とおじさん。すでにそうなってる気がするけど(笑)。
「お前は本当におせっかいな娘だな」とブジンサマ(ほら)。私はブジンサマと一緒に歌いたい、信じて待ってる人達がいるのになぜ1人でいようとするんですか!とカノン。裏切る人もいるけど、人を信じて人のためにがんばってる人もいっぱいいる、あきらめないで人と繋がって生きてもらえませんか?とお願いする。タイヘイも、ブジンサマはオンバケだろう!ブジンサマを尊敬する自分にこれが人助けだってもんを見せてくれ!と頼む。ここで徹夜と無理がたたったのか、足元がふらつくカノン。
イケチヨ達の看病でひと心地ついたハッコクの元にハシタカが到着、「ハーさん!」とタメキチ。ハッコクはハシタカから術法が要ると聞き、巻物を手渡す。また出発するハシタカの前にトモスケ登場、「ハーさん速い・・・」「ハーさんはやめて! 」ハーさん、最終回直前にもなって今さらそれ言う?(笑)すぐ引き返すトモスケが無意味すぎる(笑)。
「このばかたれ!」ついに切れたタイヘイは、体力の残っていないカノンを背負って山を降りる。イケチヨとショウタは様子を見に山へ向かう。
オンバケ達の元にハシタカが戻り、巻物を広げると呪文を読む声が聞こえてきて、イパダダは苦しみ出す。すかさずゴンベエはイパダダを腹に吸い込んで封印。だがイパダダの破片は森へ散らばっていく・・・。
山を降りたタイヘイとカノンは、イケチヨとショウタに会う。疲れ果てたカノンに癒しの気を送ってあげるイケチヨ。
実家で眠るカノン、タイヘイがばろくの元へ運んできた様子。まさかなんか(カノンに)無理させたわけじゃないよね、とタイヘイに冗談を言うばろく(下ネタかよ)に「はい、けっこう無理なお願いをしてしまったんだと思います」と真面目に答えるタイヘイ。あらぬ勘違いをして顔がひきつるばろく(笑)。
トモスケはジュウゾウ達の元に戻ってきて、ゴンベエの勝利を伝える。お祝いムードの中、先ほど森に散らばったイパダダの破片が集まり、動き出し始めていた・・・と、ここで終了。エンディングテーマはここにきて2番!!古くは『シャリバン』とか、高寺作品では『クウガ』を思い出します。そして最終回予告編のカノンのナレーション「聴いて下さいね、私の歌」これまるで五代雄介の「見てて下さい、俺の変身!」じゃないですか!
さて、全体の感想ですが。当初、終盤は大魔神が暴れ回る、とどっかで聞いていた気がしますが、本当に最終回だけなんですね(笑)。最後の直前まで、まるまる1話かけてカノンがひたすらブジンサマを説得しようとするだけの回だった、というのが逆に『カノン』という作品の凄みを物語ってるというか(笑)。いや、多分特撮ファンを喜ばせることの方が簡単だと思うんですよ。冒頭からガーンと復活して大イパダダとお約束のように戦ったら、それは爽快感があるでしょう。でもあえてギリギリまでやらずに、前回はカノンがブジンサマに共感を覚える理由付けを、今回はカノンとブジンサマが理解し合うまでに足る過程をしっかり描くと。まあ『大魔神』のリメイクとしてこれがベストな形だったのかと言われると分からないけど、もう少しオリジナル版や特撮ヒーロー好きの視聴者にサービスしても良かった気はするけど、最後まで『カノン』は『カノン』だったなと。らしさ全開の内容に『カノン』ファンとしては満足です。残すところあと一回、悔いのないようじっくり味わおう(※最終回視聴前に書きました)。

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第25話『彼遠』
脚本:大石真司 監督:坂本太郎
カノンは岩となり眠っているブジンサマの前で、かつて人間達がブジンサマにした仕打ちを人間の一人として謝罪する。今から歌うのは自分にとって嘘のない「いのりうた」、自分の気持ちが伝わるといいなと思っています、と断ってから歌い始めるカノン。
歌い始めると岩が動き出した。「娘、なぜ歌う?歌姫だからか? 」とブジンサマ。私の思いを伝えたくて、とカノン。本当のブジンサマは岩の姿じゃない方がいいと思う。ブジンサマは誰かのために生きることが好きなんじゃないか、人助けをする方がブジンサマらしくて良いんじゃないか、とカノン。「無駄なことだ、お前達に言われるまでもなく我はそう思い続けてきたからだ」とブジンサマ。同意するけど行動には移さない、と?じゃあなぜ岩のままでいるんだづ、と問うタイヘイに、「我の思いをお前達が知る必要はない!」と引きこもりっぽいブジンサマ(笑)。
オタキさん達の集まっているジュウゾウの家(?)。ゴンベエのことを心配するイケチヨとオタキさんをよそに、タメキチとショウタは「戦が終わったら宴だ」と盛り上がる。
カノンは懸命に説得を続ける。「1人で苦しまないで悩みを教えて下さい。オンバケさん達と人間は切っても切れない関係、支えあって生きていかなきゃいけない関係にあるんじゃないかと思ってるから、だからブジンサマの悩みは私の悩みだと思ってます。 」屁理屈を言うな、と冷たく返すブジンサマだがタイヘイに「乙女にはもっと優しく接してくれって!」と怒鳴られて(笑)少し態度を改め、カノンに「お前にとって歌とは何だ?」と訊ねる。おばあちゃんが歌う「いのりうた」を聴くと優しい気持ちになれた。歌で自分の気持ちを伝えて幸せになってもらいたい、歌は気持ちを届けてくれる素敵な手紙みたいなもの、とカノン。歌はいいものだ、我もかつて我を生み出してくれた人々に感謝と尊敬を込めて「いのりうた」を歌っていた、とブジンサマ。それを聞き喜ぶタイヘイだが、我に人のためにうたう歌はもうない、とブジンサマ。「いのりうた」も人が信じあう喜びを歌っていたから、自分が人が信じられなくなるとそれを歌うことも辛くなって・・・、と自分の体験を話すカノン。あきらめて帰ろうとする2人だが、タマッコは2人を引き止める。「私達は本当に何も力になれないんでしょうか?」「余計な世話を焼くな。我は人間を信じない故、歌を取り戻すことも叶わないのだ」、とブジンサマ。
大イパダダと戦うゴンベエ。サワモリはハシタカに、ハッコクの元へ飛び、大イパダダの動きを鈍らせる術法の巻物を持ってくるよう頼む。変身体になり飛んでいくハシタカと、念のためハッコクの元に向かうトモスケ。
なんでカノンちゃん信じてくれようとしねえんだづ!とタイヘイ。カノンに、お前は人間を愛しているようだが人間は裏切るものだ、とブジンサマ。信じても裏切られることはある、でも私はあきらめたくない。裏切られたら辛いけど、それでも人を信じて一緒に歌ったりするのが好きだから、とカノン。お前達の思いは分かったが我は歌を失った、それ故イパダダに対する術もない、とブジンサマ。「我は我の安らかな気持ちをイパダダに伝え諭してきたのだ、歌えない我はもうお役目を果たせんのだ」1人でいたいからここを去れ、というブジンサマに、ブジンサマを信じてるから、ここにいさせて下さい!と決意の表情のカノン。
巫崎家。カノンはいい顔になってきた、と話しているおじさんと父ばろく。カノンもばろくのように面倒見のいい人間になる、おせっかいは必ず人の役に立つ、とおじさん。すでにそうなってる気がするけど(笑)。
「お前は本当におせっかいな娘だな」とブジンサマ(ほら)。私はブジンサマと一緒に歌いたい、信じて待ってる人達がいるのになぜ1人でいようとするんですか!とカノン。裏切る人もいるけど、人を信じて人のためにがんばってる人もいっぱいいる、あきらめないで人と繋がって生きてもらえませんか?とお願いする。タイヘイも、ブジンサマはオンバケだろう!ブジンサマを尊敬する自分にこれが人助けだってもんを見せてくれ!と頼む。ここで徹夜と無理がたたったのか、足元がふらつくカノン。
イケチヨ達の看病でひと心地ついたハッコクの元にハシタカが到着、「ハーさん!」とタメキチ。ハッコクはハシタカから術法が要ると聞き、巻物を手渡す。また出発するハシタカの前にトモスケ登場、「ハーさん速い・・・」「ハーさんはやめて! 」ハーさん、最終回直前にもなって今さらそれ言う?(笑)すぐ引き返すトモスケが無意味すぎる(笑)。
「このばかたれ!」ついに切れたタイヘイは、体力の残っていないカノンを背負って山を降りる。イケチヨとショウタは様子を見に山へ向かう。
オンバケ達の元にハシタカが戻り、巻物を広げると呪文を読む声が聞こえてきて、イパダダは苦しみ出す。すかさずゴンベエはイパダダを腹に吸い込んで封印。だがイパダダの破片は森へ散らばっていく・・・。
山を降りたタイヘイとカノンは、イケチヨとショウタに会う。疲れ果てたカノンに癒しの気を送ってあげるイケチヨ。
実家で眠るカノン、タイヘイがばろくの元へ運んできた様子。まさかなんか(カノンに)無理させたわけじゃないよね、とタイヘイに冗談を言うばろく(下ネタかよ)に「はい、けっこう無理なお願いをしてしまったんだと思います」と真面目に答えるタイヘイ。あらぬ勘違いをして顔がひきつるばろく(笑)。
トモスケはジュウゾウ達の元に戻ってきて、ゴンベエの勝利を伝える。お祝いムードの中、先ほど森に散らばったイパダダの破片が集まり、動き出し始めていた・・・と、ここで終了。エンディングテーマはここにきて2番!!古くは『シャリバン』とか、高寺作品では『クウガ』を思い出します。そして最終回予告編のカノンのナレーション「聴いて下さいね、私の歌」これまるで五代雄介の「見てて下さい、俺の変身!」じゃないですか!
さて、全体の感想ですが。当初、終盤は大魔神が暴れ回る、とどっかで聞いていた気がしますが、本当に最終回だけなんですね(笑)。最後の直前まで、まるまる1話かけてカノンがひたすらブジンサマを説得しようとするだけの回だった、というのが逆に『カノン』という作品の凄みを物語ってるというか(笑)。いや、多分特撮ファンを喜ばせることの方が簡単だと思うんですよ。冒頭からガーンと復活して大イパダダとお約束のように戦ったら、それは爽快感があるでしょう。でもあえてギリギリまでやらずに、前回はカノンがブジンサマに共感を覚える理由付けを、今回はカノンとブジンサマが理解し合うまでに足る過程をしっかり描くと。まあ『大魔神』のリメイクとしてこれがベストな形だったのかと言われると分からないけど、もう少しオリジナル版や特撮ヒーロー好きの視聴者にサービスしても良かった気はするけど、最後まで『カノン』は『カノン』だったなと。らしさ全開の内容に『カノン』ファンとしては満足です。残すところあと一回、悔いのないようじっくり味わおう(※最終回視聴前に書きました)。
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